【源氏物語】⑪「玉鬘・初音・胡蝶」あらすじ&ゆかりの地巡り|わかりやすい相関図付き

プロモーションを含みます

2024年の大河ドラマは第63作『光る君へ』。時代は平安、主人公は紫式部。『光る君へ』では、藤原道長との出会いにより人生が大きく変わることとなる紫式部の人生が描かれています。

たまのじ

紫式部を演じるのは吉高由里子さん。藤原道長は柄本佑さんが演じます。

私は『源氏物語』を読み始めました。『源氏物語』は紫式部の唯一の物語作品。せっかくなので、『源氏物語』を読み進めるのと並行して、あらすじや縁のある地などをご紹介していこうと思います。これを機に『源氏物語』に興味を持っていただくことができたなら、とても嬉しいです。

※和歌を含め、本記事は文法にのっとっての正確な現代語訳ではありません。ご了承ください。

←本のマークの部分だけを読むと、さらに時間を短縮して読むことができます。

*****

▼巻ごとのあらすじを中心に、名場面や平安の暮らしとしきたりを解説。源氏物語が手軽に楽しくわかる入門書としておすすめの一冊! 

*****

目次

玉鬘十帖

これからご紹介する「玉鬘」から「真木柱」までの十帖では、頭の中将と夕顔の娘である玉鬘(たまかずら)の物語が描かれています。そのため、その十帖を「玉鬘十帖」と呼ぶことがあります。

第22帖 玉鬘(たまかずら)

夕顔の姫君

あれから長い年月が経ちましたが、源氏の君は愛おしい夕顔のことを片時も忘れることはありません。夕顔の侍女だった右近は源氏の君が引き取り、あの須磨の件のときからは紫の上に仕えていました。
右近は「御方様(夕顔)がいらっしゃったら、他の女君のように六条院に迎えられただろうに」と悲しみます。

夕顔は源氏の君との逢瀬の間に突然亡くなってしまった女性。かつて頭中将の恋人だったことを後で知った源氏の君は、夕顔が亡くなったことを頭中将には知らせませんでした。源氏の君が夕顔と出会ったのは、夕顔が子を連れて頭中将の前から姿を消してひっそりと暮らしていた頃。頭中将は夕顔と子を探していましたが、とうとう見つけることは出来なかったのです。(第2帖 帚木・第4帖 夕顔

夕顔の死は誰にも言うなと源氏の君に口止めされていたので、右近は夕顔の姫君を探しませんでした。
その後、姫君を世話している乳母が、夫の少弐の任務で筑紫へ行くことになります。乳母は頭中将に事情を話そうとはしましたが、夕顔の行方が分からない上に、いままで離れていた父親に預けるのも心配で、姫君が四歳の時に一緒に連れて行くことになりました。

たまのじ

こうして姫君は九州へ行くことになります

少弐は五年の任期が終わって京へ戻ろうとしますが、旅路が長く大変な上に財力も乏しく、出発を迷っているうちに重い病にかかってしまいました。姫君が十歳くらいになり、とてもかわいらしく美しくなったのを見て、「こんな田舎で成人させるわけにはいかない。一刻も早く京にお連れしろ」と三人の息子に言い残して、少弐は亡くなってしまいました。
乳母はひたすら京へ上がろうとしますが、少弐と仲の悪い者の妨害などを気にしているうちに、年月が経ってしまいます。姫君は母君よりも美しく、父の血筋のせいか、気品もあってかわいらしく育っていました。求婚者が絶えずやってくるので、乳母は「体にひどく悪いところがあるので、結婚はさせず尼にして、私が面倒を見る」と言いふらします。
「早く父君のところへ」とは思うのですが、乳母の娘や息子がその土地で結婚して住みついてしまったので、ますます出発が遠のきました。
そうしているうちに姫君は二十歳くらいになり、とても美しくなっていたのでした。

大夫の監の求婚

肥後の国に一族を多く持ち、声望も勢いもある、大夫の監(たいふのげん)という武士がいました。あまりにも無骨なその男は、器量のいい女を集めてそばに置こうとしており、姫君にもしつこく求婚してきます。乳母が断ると、乳母の三人の息子を呼び寄せて「反対したらこの土地にいられないようにしてやる」と脅し、次男と三男を味方につけてしまいました。ただ、長男の豊後の介(ぶんごのすけ)だけは、少弐の遺言を守って姫君を京に連れて行こうと決心します。

大夫の監は三十位の男で、背が高く太っています。振る舞いは荒っぽく、声はしわがれて方言混じりでしゃべります。初めは文を寄こしてきていましたが、ついには乳母の次男を利用して乗り込んできました。その場は乳母がなんとかして帰したのですが、とても恐ろしくなり、ついに姫を連れて筑紫を発つことにしました。
豊後の介は妻子を置いて行き、今は兵部の君と呼ばれるあてきという妹も、長年連れ添った夫を捨ててついて行きます。大夫の監が追いかけてくるのではないかと怯えながら、急いで舟で京に向かいます。
京が近づいて少し心が落ち着いた頃には、豊後の介も兵部の君も残してきた家族の身を心配していました。そして、「京には落ち着く先も知り合いもいないのに、どうしたらいいのか」と途方に暮れているうちに、京にたどり着いたのでした。

たまのじ

夕顔が亡くなっていることも知らない乳母たち。必死に姫君を守ってきたんですね。

奇跡の再会

京に着いた乳母たち。いつもは頼もしい豊後の介も、知らない土地ではどうしていいかわからず、ついて来ていた者たちは不安になり、散り散りに肥前の国へ帰っていきました。
乳母を慰めるように、豊後の介は言います。
「神仏こそ姫君をしかるべき道へ導いてくれるはず。近くに石清水八幡宮があり、筑紫でもお詣りしていた松浦や筥崎と同じ社です。肥前を離れる時も願立てし、こうして無事にたどり着いたのですから、お詣りしてはいかがですか。八幡の次にご利益が高いと評判の初瀬の観音にも参りましょう」

ご利益があるように、歩いて向かいました。姫君は、慣れないことでとてもつらそうですが、言われるままに夢中で歩きます。「なぜこんなにつらい目にあうのだろう。母君が生きていてくださったら」と嘆きながらも、四日目にやっとのことで椿市というところに着きました。
宿の主人である法師が「他の人が泊まることになっているのに。下女が勝手に案内しおって」と不機嫌そうにぶつぶつ言っていると、確かに他の一行がやってきました。その一行も歩いてきたようで、身分は低そうにない女二人と、男女の下人たちが数多くいました。
法師は仕方なく、豊後の介一行を別の部屋に入れますが、一部の人たちは他の一行と相部屋になります。部屋の隅に寄り、姫君には幕をしっかりめぐらせて隠しました。
それにしてもこんなことがあるのでしょうか。相部屋になったこの一行は、あの右近一行だったのです。右近は、 紫の上に仕えつつも六条院に馴染めず、姫君との再会を祈願して初瀬の観音・長谷寺に度々参詣していたのでした。

たまのじ

乳母も右近も夕顔を慕い続けています。そんな思いが2人を引き寄せたのかもしれません。

豊後の介が「これは姫君にさしあげてください。お膳などが整わなくて恐縮ですが」と言うのを聞き、右近は並の身分ではない人がいるのだろうかと思って物のすきまから覗くと、その男の顔を見たことがある気がしました。「三条、ここに来なさい」と豊後の介が呼び寄せた女にも見覚えがあります。そのうち夕顔に仕えていた者だと思い出すと、まるで夢のような心地がしました。
右近は三条を呼び寄せます。初めは誰だかわからないというふうでしたが、三条も右近のことを思い出して大袈裟に泣き始めました。乳母にも報告に行き、仕切りにしていた屏風のようなものはすべて退け、皆で泣き交わすのでした。乳母が「御方様は?」と聞くと、右近は「御方様はとうにお亡くなりになりました」と言ったので、皆、どうしようもなく泣きくずれるのでした。
そして右近は観音様の御堂に行き、「探していた姫君が見つかりましたので、源氏の君にお知らせします。どうか姫君が幸せになりますように」と祈るのでした。

姫君、六条院へ

右近は六条院へ参上し、源氏の君に夕顔の姫君が見つかったと報告しました。源氏の君は「姫君をこちらに迎えよう。父の内大臣(前の頭中将)には知らせなくてもよい。」と言い、右近は「お亡くなりになった御方様の代わりに姫君を助けることが、罪滅ぼしにもなりましょう」と申し上げます。源氏の君は姫君に文を書き、美しい装束や女房たちの衣などを右近に持たせました。
姫君は「本当の父親ではないのに、どうして知らない人の世話になれましょうか」と悩んでいましたが、右近や乳母たちが「そのうち内大臣のお耳にも入るでしょう。親子の契りは絶えるものではありません」と言うので、六条院に移る決心をするのでした。

知らずとも尋ねてしらむ三島江に生ふる三稜(みくり)のすぢは絶えじを
“わたしのことを知らなくても誰かに尋ねればわかるでしょう わたしたちの縁はつながっているのですから”

源氏の君

数ならぬみくりやなにのすぢなればうきにしもかく根をとどめけむ
“人の数にも入らない身でありながら なんの筋があって私は このつらい世に生まれてきたのでしょうか”

夕顔の姫君

源氏の君は、今になって紫の上にも夕顔とのことを話しました。こんなにも長く隠していたことを、紫の上は恨んでいます。源氏の君は「亡くなった人について、聞かれもしないことは言わないものです。もし夕顔が生きていれば、明石の君と同じくらい大切にしていたことでしょう」と言いますが、紫の上は「いいえ、明石の君ほどには大切になさらないはずです」と返します。
紫の上は、明石の君に関してはどうしても苛立ってしまうのです。しかし、ふたりの話を無心に聞いている明石の姫君がたいへんかわいいので、「源氏の君が明石の君を大切になさるのはもっともだ」と思い直すのでした。

月耕『源氏五十四帖 廿二 玉葛』 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

夕顔の姫君が六条院に移ってきました。源氏の君は、花散里に姫君のお世話を頼みます。
その夜、早速源氏の君がやって来ました。乳母たちは「光源氏」という呼び名は聞いていたものの、その美しさに恐ろしささえ感じています。
源氏の君は廂の間の座について、姫君に「ずっと心配していましたので、お目にかかれて嬉しいです。これまでの話をしたいと思っているのですが、なんだかよそよそしいですね」と言います。姫君は何と言っていいかわからず「幼い頃に筑紫に下ってからは、生きているのかわからないありさまでしたので…」と、か細い声で話しました。その様子が夕顔に実によく似ていたので、源氏の君は微笑むのでした。

恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなるすぢを尋ね来つらむ
“今でも夕顔を恋しく思っている私のもとに 姫君はどんな縁でたどりついたのだろうか”

源氏の君
たまのじ

源氏の君が詠んだこの歌から、夕顔の姫君は「玉鬘(たまかずら」と呼ばれます。

源氏の君は夕霧にも玉鬘を迎えたことを話しておきます。夕霧は玉鬘のもとに行き、「お役に立てないかもしれませんが、実の弟でありますのでなんでもお申しつけください」とまじめに申し上げるので、玉鬘が夕霧の実の姉ではないということを知っている者たちは、気が引けるのでした。
豊後の介は姫君付きの家司(けいし:家の庶務をおこなう者)に任命されました。豊後の介は、ずっと田舎住まいだった自分が、出仕して、源氏の君の邸に朝夕出入りしたり人に指図したりする身になったことをとても名誉なことだと思います。源氏の君の心遣いは、あらゆるところに細やかに行き届いているのでした。

晴れ着選び

年の暮れになり、源氏の君は女君たちに新年の晴れ着を選びます。紫の上が「着る方を思い浮かべて、その方に似合いそうなものを選んでください」と言うと、源氏は「私が選んだものを見て、さりげなく玉鬘の容貌を想像するつもりなのですか」とからかいます。
紫の上、明石の姫君、花散里、玉鬘の晴れ着を選びました。二条院の東の対にいる末摘花にも選びます。そして、とても気品がある晴れ着を明石の君にと選んだので、紫の上は嫉妬します。源氏の君は、あの空蝉にも選びます。空蝉は尼になって二条の東の院に引き取られ、源氏の君のお世話を受けていました。
そして女君たちに、この晴れ着を正月に着るようにと、手紙を書いたのでした。

*****

▼姫君はネコ、殿方はイヌのイラストで、物語の全体像を分かりやすく解説!当時の皇族・貴族の暮らし、風習、文化、信仰などについても詳しく紹介されています。

*****

鏡神社*松浦なる鏡の神

玉鬘に求婚する大夫の監が詠んだ歌、

君にもしこころたがはば松浦(まつら)なるかがみの神をかけて誓はむ
“姫君に対して心変わりするようなことがあったら…(どんな罰でも受けましょう) 松浦にいらっしゃる鏡の神にかけて誓いましょう”

大夫の監

この歌に出てくる「松浦なる鏡の神」とされているのが、佐賀県唐津市にある鏡神社です。

たまのじ

大夫の監は田舎者で和歌を詠み慣れていないので、こんなぎこちない(途中が抜けた)歌になってしまったようです。

鏡神社とは

鏡神社は、佐賀県唐津市の鏡山の麓に位置する神社。古来より松浦地方(現在の糸島~長崎)の総社として尊崇されています。本殿が2棟あり、一ノ宮に神功皇后、二ノ宮に藤原広嗣公を祀っています。

源氏物語歌碑

先ほどご紹介した大夫の監の歌の歌碑があります。

玉鬘とその乳母たちが肥前国で暮らしている時に信仰していたのが鏡神社です。玉鬘は大夫の監から逃げるために筑紫を離れる時に、松浦の宮の前の渚と姉君と別れるのが悲しいと思いますが、その「松浦の宮の前の渚」と言うのは鏡神社の前に広がる海辺を想定していたのではないかと思います。

鏡神社
住所:佐賀県唐津市鏡1827

目次