【源氏物語】⑩「朝顔・少女」あらすじ&ゆかりの地巡り|わかりやすい相関図付き

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2024年の大河ドラマは第63作『光る君へ』。時代は平安、主人公は紫式部。『光る君へ』では、藤原道長との出会いにより人生が大きく変わることとなる紫式部の人生が描かれています。

たまのじ

紫式部を演じるのは吉高由里子さん。藤原道長は柄本佑さんが演じます。

私は『源氏物語』を読み始めました。『源氏物語』は紫式部の唯一の物語作品。せっかくなので、『源氏物語』を読み進めるのと並行して、あらすじや縁のある地などをご紹介していこうと思います。これを機に『源氏物語』に興味を持っていただくことができたなら、とても嬉しいです。

※和歌を含め、本記事は文法にのっとっての正確な現代語訳ではありません。ご了承ください。

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▼巻ごとのあらすじを中心に、名場面や平安の暮らしとしきたりを解説。源氏物語が手軽に楽しくわかる入門書としておすすめの一冊! 

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目次

第20帖 朝顔

朝顔の姫宮への未練

朝顔の姫宮は父・桃園式部卿の宮が亡くなったため、賀茂の斎院を退きました。源氏の君は姫宮をまだ諦められずにいたので頻繁にお見舞いしますが、姫宮は源氏の君とは最低限の付き合いしかしません。

朝顔の姫宮は源氏の君のいとこ。源氏の君に言い寄られて心を惹かれながらも、六条の御息所が源氏の君のつれなさに苦しんでいたのを知り、その二の舞にはなりたくないと、源氏の君には決してなびかないと心に決めていたのです。

姫宮が桃園の邸に移ったと聞いて、源氏の君はそこに住む女五の宮(故桐壺院の妹・源氏の君と姫宮の叔母)を伺うことを口実に、桃園の邸を訪ねました。
女五の宮は、桐壺院や式部卿の宮が亡くなったことや、源氏の君が須磨にいた頃のことなどを長々と話します。そして「私はあなたを婿に迎えた三の宮(大宮:女五の宮の姉・葵の上の母君)がうらやましかった。亡くなった式部卿の宮もあなたを婿にできなかったことを悔やんでいましたよ」と言うと、源氏の君は「お近づきになれていたら嬉しかったのですが、姫宮が私を遠ざけようとなさっていたので…」と恨めしそうに言うのでした。

源氏の君は何度も何度も朝顔に恋心を伝えるのですが、ことごとく拒否されていました。それでも時々は源氏の君に手紙を書いたりするので、源氏の君は諦めようにも諦めきれなかったんですね。

源氏の君は姫宮のもとへ行きました。
姫宮とのお話は宣旨(姫宮の女房)が取り次ぐとのことで、源氏の君は御簾の外から「今までずっと心を尽くしてきたので、御簾の内で直接お話しできると思っていましたが、こんなによそよそしくされるのですね」と不満げに言います。それでも朝顔の姫君は直接話すことはせず、宣旨が「姫様が『父が亡くなり今はまだ気持ちが落ち着いていないので、心を尽くしていただいたということについては、またゆっくりと考えさせてください』とおっしゃっています」と源氏の君に伝えます。

たまのじ

源氏の君と御簾を挟んで距離を保ち、声すらも聞かせない。「これ以上源氏の君とは近づかない」という朝顔の強い意志が感じられますね。

源氏の君が「あなたが神に仕える斎院となって恋を禁じられてからも、私はずっとお慕いしておりました。斎院を下りた今となっては、神もお咎めにはならないでしょう。」と言うと、姫君からは「一度は神に仕えた身ですので、たとえ喪中のお見舞いであっても、神はお諫めになるでしょう」とつれない返事が返ってきます。
源氏の君がいくら食い下がっても、拒み続ける朝顔の姫君。源氏の君は諦めて帰るのでした。

気持ちがおさまらないまま帰った源氏の君は、寝ては起きてを繰り返して朝を迎えました。
色褪せた朝顔を見つけて姫君に文を書くと、返事が返ってきました。何の風情もない返事でしたが、源氏の君はその文をずっと眺めていました。
源氏の君は昔から姫君に全く相手にされないというわけではなかったのですが、どうしても思いを遂げることができずにいました。今でもまだあきらめられないので、熱心に文を送り続けるのでした。

源氏の君は、朝霧を眺めている時に色褪せた朝顔を見つけ、それを摘んで朝顔の姫君に贈ります。「私の庭の朝顔は色褪せてしまったけれど」…

見し折のつゆ忘られぬ朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらむ
“あの時の朝顔の美しさがまだ忘れられません 朝顔の盛りはもう過ぎてしまったでしょうか”

源氏の君

「もう何年もあなたへの恋に苦しんでいる私を、かわいそうだとくらいは思っていただけますか。」

以前、源氏の君が朝顔の姫君に歌を贈ったと噂されていたのは、源氏の君が17歳の時(第2帖「帚木」)。その時、歌に美しい朝顔を添えていました。(このことから「朝顔の姫君」と呼ばれています)そして今、源氏の君は32歳。あれから15年もの時が過ぎていたのです。その長い年月の間、源氏の君はあの時の朝顔を忘れることもなく、朝顔の姫君を想い続けてきたのです。

秋果てて霧の籬にむすぼほれあるかなきかにうつる朝顔
“秋も終わり 霧の立ちこめた垣根にすがりついている朝顔は 色褪せてひっそりと咲いています”

朝顔の姫君

「贈ってくださった朝顔はまるで私のようで、涙がこぼれてきます」

朝顔の姫君は「私の庭の朝顔も色褪せています」と返します。そして、源氏の君に贈られた色褪せた朝顔が自分のようだと思うのでした。

たまのじ

父宮が亡くなったことで、色褪せたはかない朝顔のように自分の心も沈んでいる、または、この先おちぶれていく自分のようだ、もしくはもう若くはない自分のようだと思っているのかもしれません。

紫の上の不安

世間では「源氏の君が姫君に熱心なのを女五の宮も喜んでいる。お似合いのふたりだ」という噂が流れ、紫の上の耳にも入ります。紫の上は「まさか」と思ったのですが、源氏の君がそわそわしているので不安になります。
源氏の君は物思いにふけることや宮中へ泊まることが多くなり、文ばかり書いているので、紫の上は「やっぱり噂は本当のようだ。ひと言言ってくださればいいのに」と憎らしく思うのでした。

これまでの長い年月の間、紫の上は源氏の君に誰よりも愛されていて、ライバルのいない状態でした。ここにきて朝顔の姫君が急浮上してきたので、「朝顔の姫君の方に心が傾いてしまったらどうしよう」と不安になっているんですね。

ある日の夕方、源氏の君は紫の上に「女五の宮のお見舞いに行きます」と言いますが、紫の上は見向きもせず、不機嫌そうです。源氏の君はこのまま出かけるのは気が引けましたが、女五の宮と約束していたので、出かけることにしました。
「式部卿の宮が亡くなられて、女五の宮に『今はあなたが頼りだ』と言われたのでお世話しているだけですよ」と女房たちに言い訳をしますが、「どうせまた浮気心が出たのですよ」「よからぬことが起きなければいいですが」などとつぶやかれているのでした。

源典侍と再会

桃園の邸に着きました。女五の宮と話しているうちに宮が眠くなったようなので、喜んで朝顔の姫宮の方へ行こうとします。すると一層年寄りじみた咳払いをしながら誰かが近づいてきます。「私がこちらでお世話になっていることをご存じだと思っていましたのに、生きている者の数にも入れてくださらないようで。桐壺院には、おばば殿とからかわれていました」
源氏の君は「源典侍か」と思い出し、「源典侍は尼になって宮の弟子になったと聞いていたが、まだ生きていたのか」と呆れます。話している時も昔のように色めいた仕草をしてくるので、源氏の君は苦笑しています。「藤壺の入道はあんなに若くして逝かれたのに、こんな源典侍のような者がまだ生きているとは」と思ってしまうのでした。

源典侍(げんのないしのすけ)は年老いた高級女官。才能豊かで教養もあり、得意とする琵琶の音色と美声は、源氏の君も心を惹かれるほどです。歳をとっても色恋沙汰に目がないのが困ったところ。かつて、源氏の君と共寝したこともあり、その時には頭中将が踏み込んできて、源氏の君とふたりでわざと掴み合いなどをして源典侍をからかったということもありました。(第7帖 紅葉賀

源氏の君は、朝顔の姫宮のもとへ行きました。薄く積もった雪に月の光が差し、とても風情のある夜です。
また御簾の内に入れてもらえないので、宣旨を介して真剣に姫宮へ伝えます。「今宵はあなたのことをあきらめに参りました。ひと言『嫌いだ』と、宣旨を介せず直接言っていただけませんか」
姫宮は「まだ若かったあの頃でさえ、父宮に勧められても、源氏の君を受け入れられなかった。それなのに、今さらひと言でも声を聞かせるなんてできない」と思い、やはり直接話そうとはしません。
姫宮が源氏の君を完全に拒むのではなく、人を介して返事くらいは返すので、かえってそれが源氏の君にとってはつらいのでした。

姫宮は一定の距離を保って源氏の君とのお付き合いを続けていこうと思います。そして長い間斎院として神に仕えて仏道から遠ざかっていたため、これからは勤行に精を出そうと思うのでした。

源氏の君が気の毒なくらいに冷たい態度をとる姫君に、女房たちはがっかりしています。そして式部卿の宮がいなくなって寂れていた邸は、もっと寂れていくのでした。

たまのじ

姫君が源氏の君を受け入れてお世話してもらえるようになったら、この寂れた邸も元の華やかさを取り戻せるのに、と女房たちは思っているのです。

藤壺の宮の面影

朝顔の姫君にばかり夢中になっている源氏の君を見て、紫の上は泣いています。
源氏の君は、「あの方は昔から色恋沙汰には関わらない方なのですよ。だから、ふざけて差し上げた恋文めいたものにも返事をくださいますが、あの方は本気ではありません。ただの遊びなので、あなたに言うほどのことではないと思っていたのです。どうか機嫌をなおしてください。」と慰めます。
雪がたくさん降る夕暮れ、月の光が隈なく照り渡り、あたり一面が白一色に輝いています。源氏の君は女童(侍女見習い)たちを庭に下ろして、雪遊びをさせました。かわいらしく走り回る子や、雪を転がして大きくしようとして動かなくなって困っている子がいます。

月耕『源氏五十四帖 二十一 朝顔』 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

源氏の君は紫の上に話しかけます。「昔、藤壺の中宮の前に作られた雪の山がめずらしくて遊んだことがあります。宮は物腰が柔らかくおおらかな上に、深い教養を身につけていらっしゃいました。あなたは同じ血筋だけあって宮に似ていらっしゃいますが、少々厄介なのはやきもち焼きなところです。
朝顔の姫君は、物寂しい時には特に用がなくても文を交わし合い、自然に気遣い合える方。こんな方はもう他にはいなくなってしまいました。」
紫の上が「朧月夜の尚侍は、聡明で奥ゆかしく、軽々しい振る舞いなどされない方だったのに、なぜあのようなことを…」と言うと、「そう。優美と言えばあの人ですね。あの人には気の毒なことをしてしまいました。」と源氏の君は少し涙を落とします。
「明石の君は、身分のわりには教養も気品もありますが、少し誇りが高すぎるところがあるのです。それに比べて花散里はとても気立てがよく、ずっと変わらず慎ましやかに過ごしていらっしゃいます。今ではとてもいとおしく思っています」などと話しているうちに、夜が更けていきました。

源氏の君はあえて他の女君のことを話すことによって、「こんな話を隠さず話せるのは、あなたがわたしにとって大切な人だからなのですよ」という気持ちを紫の上に伝えたかったからなのかもしれません。

たまのじ

たくさんの女性に心を寄せる源氏の君ですが、やはり本当に大切なのは紫の上なのですね。

寝所に入り、源氏の君は藤壺の宮のことを思っていました。そのうち夢かうつつか宮がほのかに現れ、「他に漏らさないと言っていたのに…。あのことが知れ渡って、恥ずかしく苦しい目にあっています」と恨みがましく言います。それに答えようとした時、源氏の君は、紫の上の「どうなされましたか」という声で目覚めます。見残した夢を残念に思っていると、抑えていた涙もあふれてくるのでした。

とけて寝ぬ寝覚めさびしき冬の夜に結ぼほれつる夢のみじかさ
“落ち着いて眠れずふと目を覚ます冬の夜 なんと短い夢を見たことか”

源氏の君

「ただひとつの過ちのために、あの世でもまだ苦しんでいらっしゃるのだ。どんなことをしてでも宮のもとに行って、罪を我が身に引き受けたい」と源氏の君はただただ思うのでした。

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▼姫君はネコ、殿方はイヌのイラストで、物語の全体像を分かりやすく解説!当時の皇族・貴族の暮らし、風習、文化、信仰などについても詳しく紹介されています。

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第21帖 少女(おとめ)

朝顔の揺るぎない信念

朝顔の姫君はまだ父宮の服喪中のため、気持ちが沈んでいます。源氏の君からはお見舞いの手紙が届いていましたが、喪が明けて通常の服に着替える時には、置き場がないほどの衣装が源氏の君から宣旨(朝顔の女房)のもとに届きました。姫君は迷惑そうにするのですが、宣旨は「恋文などがついていれば何とかお断りしますが、きちんとしたお見舞いなのでお断りする理由が見つかりません」と困りきっています。

女五の宮へも源氏の君はお見舞いをしていたので、宮はとても感心して姫君に言います。「亡くなった式部卿の宮(姫君の父君)は、源氏の君を婿に迎えられなかったと悔やんでおりました。正妻である葵の上も亡くなられ、源氏の君もいまだ姫君に思いを寄せられています。これはそうなるべきだということではありませんか」
しかし朝顔の姫宮が「亡き父宮に頑固だと思われながらも断りましたのに、今さらそんなことはできません」ときっぱりと言うので、女五の宮はそれ以上お勧めしませんでした。
宮家に仕える人たちは皆源氏の君に味方しているので、姫君は女房の誰かが手引しないか心配でしたが、源氏の君は無理に気持ちを押し通そうとはせず、姫君の心が傾くのをずっと待ち続けているのでした。

夕霧の元服

夕霧(源氏の君と葵の上の子)が元服を迎えます。普通なら官位は四位のはずですが、夕霧に与えられたのは浅葱(あさぎ)色の六位の袍(ほう:正装時の上着)。不満げな祖母の大宮(葵の上の母君)に、源氏の君は話します。
「まだ若いので、大学で学ばせたいのです。学問という基礎があってこそ政治でも能力を発揮できるものだと思います。もどかしいとは思いますが、将来世の重鎮となるための教養を身につけておけば、私が亡くなった後も安心だと思いませんか。」
大宮がため息をついて、「そこまで考えてのことなのですね。右大将(前の頭中将)は首をかしげていましたし、夕霧本人も目下と思っていた者が自分より上であるのが幼いなりに悔しそうでしたので」と言うと、源氏の君は「物の道理が分かってきたら、このことも理解できると思います」と言うのでした。

入学の儀式の後、源氏の君は二条の東の院に部屋と先生を用意し、夕霧が学問に専念できるようにします。
大宮のもとへは月に三度だけ帰ることを許されていました。
夕霧は厳しい源氏の君を恨みますが、まじめな性格なので、四、五ヶ月のうちに『史記』などの書も読み終えて、模擬試験などでもとても優秀な成績を収めます。伯父である右大将(前の頭中将)は「太政大臣(夕霧の祖父:右大将の父)が生きていたら、どんなにお喜びのことか」と涙を流すのでした。

梅壺の女御が中宮に

宮中では后を決める時期となりました。源氏の君は「梅壺の女御(前斎宮)は、藤壺の入道も帝の世話役にと希望された方なので」と主張します。しかし世間では「弘徽殿の女御の方が先に入内したのに」と反対する声もあります。
式部卿の宮(紫の上の父・藤壺の入道の兄)は帝の伯父としてとても信任があつく、自分の娘を入内させていたので、「同じ皇族なら、藤壺の入道の血筋である私の娘の方がいいのでは」と主張します。それぞれが主張して競争しましたが、結局、梅壺の女御が中宮に選ばれました。母である六条の御息所と違って幸運をつかんだと、世の人は驚くのでした。

源氏の君は太政大臣に昇進し、右大将(前の頭中将)は内大臣になりましたが、源氏の君は政治の実権を内大臣に譲りました。内大臣は、人柄はまっすぐで心遣いも聡明で、政治の実務に詳しいのでした。
内大臣には、弘徽殿の女御のほかに姫君がもう一人いますが、その母君は按察使大納言の北の方(正妻)になってしまいました。按察使大納言との子が多くなったので、「継父に託して、その子らと一緒にするわけにはいかない」と、内大臣が引き取って大宮に預けたのでした。内大臣は弘徽殿の女御ほどはこの姫君を大切にしていないのですが、人柄や容貌などは実に可愛らしいのでした。

たまのじ

この姫君は、葵の上と源氏の君の子である夕霧のいとこにあたります。

大宮に預けられていた夕霧はこの姫君と同じ邸で育ちましたが、それぞれが十歳を過ぎる頃には、「近い血筋でも男子と仲良くするものではない」と、内大臣が部屋を分けたので、離れ離れに暮らしていました。
姫君は無邪気で、夕霧も大人びているわけではないのですが、幼心にも恋い慕っていたのか、会えないことをつらく思っているようでした。
ふたりでやりとりした文を、うっかり落としてしまうこともあったので、乳母たちはふたりの関係にうすうす気づいていましたが、見て見ぬふりをしていたのでした。

ある夕暮れ、大宮のもとに内大臣(前の頭中将)が来て、姫君に琴を弾かせていました。
内大臣は、「太政大臣(源氏の君)が大堰の山里にかくまっている人がとても琵琶が上手だそうですよ。」と言います。
大宮は「太政大臣にとって初めての女の子を産んだその方は、その子のためを思って、その子を高貴な方に預けるような申し分のないお方だと聞いております」と琵琶を弾きながら話します。
内大臣は「女は気立てがよければ出世するのですね。弘徽殿の女御を冷泉帝の后にと思いましたが、梅壺の女御に負けてしまいました。せめてこの姫君は東宮の后にと考えていますが、明石の姫君が入内なさったらまた負けてしまいそうです」と嘆いています。

几帳

内大臣が和琴を引き寄せて掻き鳴らすのに合わせて、庭の梢から木の葉が散っています。それがとても趣き深く、年老いた女房たちがあちこちの几帳の後に集まって聞いています。そこへ夕霧が来て、姫君と几帳を隔てたところに招き入れられました。内大臣が夕霧と姫君をわざと近づけないようにしているので、女房たちは「この先困ったことが起こらなければいいけれど」「親こそ子を知るというのは嘘ね」と、ささやきあっています。それをこっそり聞いた内大臣は、事態を悟ったのでした。

たまのじ

「姫君は東宮の后に」と思っていた内大臣は、このことを知ってとても腹立たしく思います。

二日ほどして、内大臣がまた大宮邸に来ました。内大臣は機嫌悪そうに、「母君に預ければ娘を一人前に育ててくれるだろうと信じていましたのに。相手がいとこだなんて。幼いからと放っておかれたのですか」と言います。大宮は驚き呆れて、「世間の噂を信じて私を責めるなんて、残念です。まだ幼いふたりなのに。」と返しました。内大臣は嘘であってほしいと嘆くのでした。
大宮は夕霧の方をかわいがっているからか、恋心が芽生えるのもかわいいと思います。「もともと内大臣は姫君をそれほど可愛がっていなかったのに。臣下に嫁ぐなら夕霧以上の人はいないし、夕霧なら姫君よりもっと身分の高い方でも合うはず」とさえ思っています。

このように騒がれているとも知らず、夕霧がやって来ました。
大宮は内大臣のことを伝えます。夕霧が顔を赤らめて、「何のことでしょうか。そんなことはありません」と言いながらも恥ずかしそうにしているのを見て、大宮は「これからは気をつけて」とだけ言いました。
その夜、夕霧は寝つけず、皆が寝静まったころに姫君の部屋へ行きますが、いつもと違って錠がかかっていました。しかし、姫君は起きているようです。竹林を通る風の音の中に、雁が鳴く声がかすかに聞こえていたので、姫君は「雲居の雁も私のように悲しいのかしら」とつぶやきました。夕霧はたまらず、「どうかここを開けてください」と言いますが、姫君はひとり言を聞かれたのが恥ずかしくて顔を隠したまま、乳母に気づかれないように音もたてません。悲しみに暮れて、夕霧は戻っていきました。

姫君が「雲居の雁も私のように悲しいのかしら」とつぶやいたことから、源氏物語においてこの姫君は「雲居の雁」と呼ばれるようになりました。

内大臣は、中宮になれなかった弘徽殿の女御が悲しんでいるので、帝の反対を押し切って、里帰りさせることにしました。そして女御の相手にと、雲居の雁を大宮邸から引き取ることにしたのです。
内大臣があとで迎えに来ると言って参内したので、ちょうど訪ねて来ていた夕霧と雲居の雁はこっそりとふたりで会いました。
夕霧が「あきらめようとしましたが、恋しさはつのるばかりです。わたしのことを恋しいと思ってくださいますか」と言うと、雲居の雁が少しうなずいたので、一途な思いで抱きしめます。ちょうどその時、雲居の雁を探している乳母が、屏風のすぐ後ろで嘆くのが聞こえてきました。「ほんとうに情けない。姫君のお相手がたかが六位の方だなんて」
夕霧は自分の位が低いから馬鹿にされているのだと悔しく思います。やがて内大臣が戻って来たので、ふたりは別れました。夕霧は、誰のせいでもなく自ら求めた苦しみなのだと思い続けるのでした。

くれなゐの涙に深き袖の色を浅緑にや言ひしをるべき
“あなたが恋しくて流した紅の血の涙で染まった袖の色を、浅緑だと見下していいのでしょうか”

夕霧

いろいろに身の憂きほどの知らるるはいかに染めける中の衣ぞ
“つらいことが多く自分の不幸を嘆くばかりですが、わたしたちの仲はどのような定めでこんなにつらい思いをするのでしょうか”

雲居の雁

五節の舞姫

源氏の君は、今年の五節の舞姫として、とても美しいと評判の惟光の朝臣の娘を献上しました。惟光は娘を手放すのはつらいと思いましたが、そのまま宮仕えさせようとしぶしぶ決心します。
夕霧はあれ以来、ふさぎ込んでいました。しかし五節の儀ということで、浅葱(あさぎ)色の袍(六位の者が着る青緑色の衣服)以外の色も着ることが許されていたため、気晴らしに部屋を出て歩いていました。
廂(ひさし)の隅の間に屏風を立てて設けた舞姫の控え所があったので、そっと覗いてみると、舞姫がいました。暗くてよく見えないのですが、恋しい雲居の雁によく似ていたので、心を奪われてしまいます。歌を詠みますが、舞姫は誰かわからず気味悪く感じます。その時、化粧直しでお付きの女房たちが近寄ってきたので、夕霧は立ち去りました。
夕霧は舞姫のことが心に焼きついて、雲居の雁に逢えないならこの舞姫を手に入れたいと思うのでした。

天にます豊岡姫の宮人もわが心ざすしめを忘るな
“天上の豊岡姫に仕える宮人であるあなた 注連縄(しめなわ)を張って「あなたは私のもの」と思っている私のこの気持ちを忘れないでください”

夕霧
月耕『源氏五十四帖 二十一 乙女』 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

源氏の君は昔心を寄せた五節の舞姫のことを思い出し、手紙を送ります。長い年月が経ってふと思い出した昔の恋を懐かしんで書いただけですが、筑紫の五節はその手紙を見てはかなくも胸をときめかせるのでした。

乙女子も神さびぬらし天つ袖古き世の友よはひ経ぬれば
“乙女だったあなたも年をとったことだろう 天の羽衣の袖を振って舞った舞姫の古い友である私も年をとったのだから”

源氏の君

かけて言へば今日のこととぞ思ほゆる日蔭の霜の袖にとけしも
“五節の舞のことでお言葉を頂きますと あなたに心惹かれたことが今日のことのように思われます”

五節の君
たまのじ

一度でも心を寄せた女性はいつまでも忘れられない。源氏の君はそんな性分なのです。

惟光は、空いている典侍の職に娘を就けようと源氏の君に申し出ました。夕霧はそれを聞いて残念に思いますが、自分の思いを伝えようと、惟光の娘に手紙を書いて娘の兄に渡します。兄は前々から男からの文など取り次ぐなと惟光に言われているのですが、夕霧を不憫に思い、手紙を渡します。娘は夕霧からの手紙を見て、とてもすばらしいと心惹かれていました。
ふたりで手紙を見ている時に、惟光がふとやって来たので、隠す暇もなく惟光に取り上げられてしまいます。「誰からの手紙だ」と怒った惟光が聞くので、兄は「源氏の君の御子息です」と言います。
すると惟光は打って変わって笑顔になり、「相手が源氏の君の御子息なら、宮仕えさせるより娘をさし上げた方がいい」と喜ぶのでした。

日影にもしるかりけめや少女子が天の羽袖にかけし心は
“日の光にもはっきり分かったでしょうか 少女が天の羽衣の袖をひるがえして舞う姿 五節の舞姿に恋した私の心は”

夕霧

源氏の君は、西の対の花散里に夕霧を預けることにしました。花散里は、ただ言われたとおりに、優しく心をこめて面倒を見ます。
年の暮れには、夕霧の正月の装束などを大宮が準備しました。たくさんの衣装がすべて六位のものなので、夕霧は憂鬱になるばかりです。
「六位だと馬鹿にされるので、内裏へ参るのも嫌になります。父君も私を遠ざけておりますので、気安く伺うわけにもいきません。対のお方(花散里)だけは優しくしてくれますが、母君(葵の上)が生きておられたらこんな思いをすることもないでしょうに」と夕霧が涙を我慢しているのを見て、大宮は「まだ若いあなたでさえこのように世を悲観しているなんて、なんて恨めしい世の中なのでしょうか」と泣くのでした。

二月になり、冷泉帝の朱雀院への行幸がありました。皆、青色の袍に桜襲(さくらがさね:表は白、裏は赤または葡萄染)を着ています。冷泉帝と源氏の君は同じ赤色の衣を着ているので、見間違うほどに似ていてとても美しいものでした。
式部省の試験になぞらえて、冷泉帝が勅題を下します。池に浮かべた舟にひとりずつ乗り、そこで詩をつくるのですが、学生たちは皆なかなかうまく作れず、途方に暮れています。
夕霧はこの行幸の日の詩文を見事につくりあげ、試験に合格。秋の司召には昇進して従五位になり、侍従(君主のそばに仕える者)になりました。雲居の雁のことを忘れることはないのですが、内大臣が厳しくて会うことはできません。手紙を時々交わしているだけなのでした。

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▼訳・瀬戸内寂聴の「源氏物語」は、比較的わかりやすい文章で書かれているので、源氏物語を読破してみたい方におすすめ。全十巻からなる大作です。巻ごとの解説や、系図、語句解釈も付いています。

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六条院造営

六条院(源氏物語ミュージアム)

源氏の君は、あちこちに離れてお住まいの女君たちを住まわせようと、六条京極の辺りにある梅壺の中宮の古い邸のあたりに、閑静で立派な住まいを造っています。
八月に、その六条院が完成しました。南西の町は、梅壺の中宮の邸があったところなので、そのまま梅壺の中宮が住みます。南東の町は源氏の君が住み、北東の町は花散里、北西の町に明石の君が住むことになりました。それぞれの街をそこに住む人の好みに合うように造っています。
南東の町は、山を高くして春の花の木をたくさん植え、池は趣深く造っています。この春の町には源氏の君と紫の上が住みます。
南西の町は、梅壺の中宮が住む秋の町。築山に紅葉が色鮮やかな木々を植え、遣り水のせせらぎの音が響くように岩を置き、滝も造りました。大堰の野山の秋景色にも負けない庭に造られています。
北東の町には、涼しげな泉があり、呉竹の下の方で吹く風も涼しげです。山里らしく造られており、花橘、撫子、牡丹などの花を植え、春や秋の草木をそこに混ぜています。東面には馬場殿を造り、池のほとりに菖蒲を植え、向こう岸の厩には駿馬をつないでいます。この夏の町には花散里が住みます。
北西の町は、明石の君が住む冬の町。北側を御蔵町にしています。隔てる垣には松の木を多く植え、雪を愛でられるようにしました。

まず秋の彼岸の頃に、紫の上と花散里がそれぞれの町に移り、数日後、梅壺の中宮が退出して移ってきました。この町々の境には塀や渡り廊下をめぐらしてお互いに行き来できるようにし、親しくお付き合いできるようにと気遣われていました。
明石の君は、自分は数にも入らない身だから、他の方々が移り終えてからひっそりと移ろうと思い、十月になってから移ってきました。源氏の君は、明石の姫君の将来のために、他の方々に劣らないようにとても重々しい扱いをするよう気遣うのでした。

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▼大和和紀さんの漫画『あさきゆめみし』は読みごたえがある超大作。私は源氏物語を読む前に、あさきゆめみしを読破しました。「源氏物語の訳本を読んでみたけれど、文章がわかりにくくて挫折した」という、じっくりと源氏物語を読んでみたいという人にとてもおすすめです。

たまのじ

私は↓この「完全版」ではなく、文庫サイズのもの(全7巻)をBOOK・OFF(ブックオフ:古本)で買って揃えました♪

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六条院*光源氏栄華の象徴

六条院(源氏物語ミュージアム)

六条院とは

六条院は、紫式部が書いた『源氏物語』に登場する架空の建築物。光源氏の邸宅として、六条の御息所とその娘・秋好中宮の邸宅を一部とする広大な土地に造られました。

光源氏はその四町もある邸宅を四つの町に分け、それぞれを春・夏・秋・冬の町とし、そこに大切な女君たちを住まわせました。

源融河原院址

源融(みなもとのとおる)は、光源氏のモデルのひとりとされている実在の人物。その源融の邸宅『河原院』をモデルとして、六条院が考えられたのでは言われています。その河原院があったとされる場所に石碑と説明版があります。

東西は現在地から柳馬場通まで、南北は現五条通から六条通(一説に正面通)に及ぶ広大な敷地を有する、平安京屈指の大邸宅であった。
邸内には陸奥塩釜の風景を写した庭園を造り、難波の浦から運んだ海水で塩焼きをしては、その眺めを楽しんだという。河原町五条の西側に「塩竈町」「本塩竈町」の町名があるのは、このことに由来する。また、この榎の大樹が邸内にあった森の名残とも言われている。

源融河原院址 説明版より引用

源融河原院址
住所:京都府京都市下京区都市町141−1

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