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2024年の大河ドラマは第63作『光る君へ』。時代は平安、主人公は紫式部。『光る君へ』では、藤原道長との出会いにより人生が大きく変わることとなる紫式部の人生が描かれています。
紫式部を演じるのは吉高由里子さん。藤原道長は柄本佑さんが演じます。
私は『源氏物語』を読み始めました。『源氏物語』は紫式部の唯一の物語作品。せっかくなので、『源氏物語』を読み進めるのと並行して、あらすじや縁のある地などをご紹介していこうと思います。これを機に『源氏物語』に興味を持っていただくことができたなら、とても嬉しいです。
※和歌を含め、本記事は文法にのっとっての正確な現代語訳ではありません。ご了承ください。
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▼巻ごとのあらすじを中心に、名場面や平安の暮らしとしきたりを解説。源氏物語が手軽に楽しくわかる入門書としておすすめの一冊!
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目次
第14帖 澪標①
朱雀帝の譲位
弘徽殿大后は病が重くなりながらも、源氏の君を失脚させられなかったことを悔しく思っています。朱雀帝は、源氏の君を元の地位に復帰させたことで気持ちが軽くなり、患っていた目もよくなりました。しかし、「もう長くは生きられない。帝位も譲らなければ」と、帝は政務についてもすべてを源氏の君に相談します。
源氏の君に相談することで、朱雀帝は心が満たされるように。世間の人々もふたりがそんな様子であることを、とても喜ばしく思っています。
朱雀帝が信頼を寄せている源氏の君。やっと心の隔てなく相談できるようになって良かったですね。
退位が近づくにつれ、帝は朧月夜のことを心配します。「太政大臣(朧月夜の父)が亡くなり、弘徽殿大后(朧月夜の姉)も容態が悪く、私も長く生きられそうにありません。そうしてすっかり変わった境遇のもとにひとり残されるあなたがかわいそうで仕方ないのです。あなたはずっと、私より源氏の君を大切に思っているけれど、私は他の誰よりもあなたのことを愛おしく思っています。」
朧月夜がとてもかわいらしく泣くので、帝は朧月夜の過去の過ちをすべて忘れて、とても愛おしいと思います。
朧月夜は、「源氏の君は素晴らしい方だけれど、私のことをさほど大切には思ってくださらなかった。でも帝は、時間とともにより一層深く愛情を注いでくださる。どうして若さにまかせてあんな騒ぎを起こして、源氏の君にも迷惑をかけたのだろう」と後悔するのでした。
翌年の二月、東宮の元服の儀式が執り行われました。十一歳という年よりも大人びて清らかに見え、まばゆいまでに光り輝いています。源氏の君にそっくりで、皆は実にめでたいと祝いますが、母である藤壺の尼宮はうしろめたい気持ちでいっぱいでした。
本当は源氏の君との子だということがいつバレるかわからない、そんな不安を藤壺の尼宮はずっと抱えているのです。
同じ月の二十日過ぎ、譲位が急に現実となりました。心穏やかでない弘徽殿大后を、朱雀院は「栄えない身分になっても、これからはゆっくりとお逢いしたいです」と慰めます。
新東宮には承香殿の女御の皇子がお立ちになり、今までとは打って変わって、世の中は華やかなことが多くなりました。源氏の君は大納言から内大臣になり、前の左大臣(頭中将と葵の上の父)が太政大臣に、前の頭中将は権中納言になります。権中納言は、四の君との間の姫君を参内させようととても大事に世話しており、若君も元服し、一族は繁栄していきました。
桐壺院が亡くなり源氏の君が須磨に行ったことによって、前の右大臣と弘徽殿大后の方が栄え、前の左大臣や前の頭中将の方は落ちぶれていきましたが、源氏の君と前の左大臣が戻ったことによって、再び栄えていったのです。
夕霧(源氏の君と葵の上の子)は、誰よりもかわいらしく育っていました。その成長ぶりに、母宮や太政大臣は亡くなった葵の上を思い出して嘆くのでした。しかし、葵の上が亡くなった後も、源氏の君は事あるごとに邸を訪れ、若君の乳母たちや長年仕えている人たちの世話をしていたので、人々は皆幸せに過ごしていました。
二条院で仕える人たちのことも思いやって世話をします。そして、故院の遺産である二条院の東の邸を改築し、花散里のようなかわいそうな人たちを住まわせようと考えているのでした。
明石の君の出産
三月の初めころ、「そろそろ子が産まれるのではないか」と思い、明石の君のもとへ使いを出すと、女の子が産まれたと知らせが入ります。
いつか占いの者が「子は三人。ひとりは帝に、ひとりは后に、そしてもうひとりは人臣の最高位である太政大臣になるでしょう」と言っていたことが、ひとつひとつ現実になっていきます。
「すべては住吉の神のお導きだったのだ。将来、后になる子があんなところにいてはならない。しばらくしたら京に迎えよう」と、東の邸を急いで造ろうとするのでした。
源氏の君は、あのような田舎では良い乳母も見つけにくいだろうと思い、乳母を明石へ向かわせます。信頼できる家来を乳母に付け、姫君へのお祝いの品も多く持たせました。
いつしかも袖うちかけむをとめ子が世をへてなづる岩のおひさき
“いつになったらわたしの袖で姫君を撫でられるのだろう 天女が岩を撫で続けるくらい長く生きる姫君を”
源氏の君
少しわかりにくい歌ですが・・・。
仏教では「一劫」という時間の単位があるそうです。約4キロ四方もある巨大な岩山の上に100年に一度(3年に一度という説も)天女が降り立ち、その羽衣で岩山を一回なでます。岩山がすべて砂になるまで、何年も何年も繰り返して岩をなでます。その砂になるまでの長い長い時間が「一劫」だと言われているそうです。
この歌はそのお話をもとに詠まれたのでしょう。
乳母たち一行が明石に着きました。待ち受けていた入道はとても喜んで迎え入れます。源氏の君のありがたい御心を思い、京の方を向いて拝みます。
乳母は「こんな田舎に来てしまった」と初めは嘆いていたのですが、あまりにも姫君がかわいらしいので、そんな気持ちも消え失せて大切にお世話します。
物思いに沈んでいた明石の君も、源氏の君の配慮に慰められ、歌を返すのでした。
ひとりしてなづるは袖のほどなきに覆(おほ)るばかりのかげをしぞまつ
“ひとりで姫君を撫で育てるには私の袖は狭すぎます あなたのその広い御袖でこの子を撫でてやってください”
明石の君
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▼姫君はネコ、殿方はイヌのイラストで、物語の全体像を分かりやすく解説!当時の皇族・貴族の暮らし、風習、文化、信仰などについても詳しく紹介されています。
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紫の上の嫉妬
明石の姫君のことについて、源氏の君は紫の上に自分から話しました。
「うまくいかないものですね。子が欲しいと思うところにはできなくて、思わぬところにはできてしまう。放っておくこともできませんので、そのうち都に呼んであなたに会わせましょう。嫉妬しないでくださいね」と源氏の君が言うと、紫の上は顔を赤らめて「嫉妬を私に覚えさせたのはあなたなのに」と言います。源氏の君は笑って聞いていました。
恋しいと思っていたお互いの気持ちや交わした文などを思い出してふたりで話します。「自分以外の人とのことは、きっと一時の戯れだったのだ」と紫の上は思おうとするのですが、一方で「自分は悲しく嘆いていたのに、お遊びでも思いを寄せた方がおられたとは」と、たまらない気持ちにもなるのでした。
五月雨の頃、源氏の君は思い立って花散里を訪ねます。しばらく訪ねはしなくても、源氏の君が何かにつけてお世話しているので、花散里はすねたり嫉んだりすることはありませんでした。しかしこの数年の間に邸は荒れてしまっていました。
源氏の君は、花散里が長い間ずっと源氏の君だけを待ち続けていたことを心に刻みます。花散里が「あなたが須磨に行かれた時、なぜこれ以上の悲しみなんてないなどと沈んでいたのでしょう。帰京されても同じように全然会えないのに」と言うのも、おおらかで可愛げがあります。源氏の君は優しい言葉で慰めるのでした。
花散里はおっとりとした女性。源氏の君は花散里といると心が落ち着くのです。
しかしこんな時にでも、源氏の君はあの五節の君のことを思い出します。もう一度会いたいと思いつつ、なかなか会うことは叶いません。五節の君もまだ源氏の君のことを想っており、縁談なども断って結婚も諦めています。
源氏の君は、二条の東の院にこのような女性たちを住まわせようと、改築を急がせるのでした。
五節の君は、五節の舞姫を務めた時に源氏の君に見初められた女性。須磨では、家族で近くを舟で通りながらも源氏の君に逢うことは出来ず、歌だけをやりとりしていましたね。
源氏の君は、朧月夜をあきらめてはいませんでした。よりを戻そうと文を送りますが、朧月夜は懲りて、昔のようには返事を出しません。源氏の君は、窮屈な関係になってしまったと嘆くのでした。
譲位した朱雀院は、四季折々の遊びを催して楽しく暮らしています。東宮の御母である承香殿の女御は院を離れて東宮に付き添っています。
藤壺の尼宮は、太上天皇に。勤行や功徳を積む仏事が日課です。ここ数年は宮中へ出入りできず帝にも会えませんでしたが、今は思うままに出入りできるようになりました。弘徽殿大后は「世の移り変わりは情けないものだ」と嘆いています。そんな大后に、源氏の君は丁寧にお仕えして気を配るのでした。
兵部卿の宮(紫の上の父)は、源氏の君が須磨へ行く時に、世間の評判を気にして冷たい態度を取っていました。そのため源氏の君は兵部卿の宮のことをよく思っておらず、親しく付き合おうともしません。
天下の政は二分して太政大臣と源氏の君の思うまま。権中納言(前の頭中将)の娘が入内する際には、祖父である太政大臣が立派な儀式を執り行いました。しかし兵部卿の宮が娘を入内させようとしているにもかかわらず、源氏の君が便宜を図ることはありませんでした。
明石の君とのすれ違い
その年の秋、源氏の君は住吉神社にお詣りに行きました。願いがたくさん叶ったので、それはそれは盛大な行列でお礼詣りをします。
ちょうどその折、明石の君も住吉へお詣りに来ました。以前から毎年二回お詣りしていたのですが、去年と今年は出産と重なって来れなかったので、お詫びも兼ねたお詣りです。舟で岸に近づくと、大勢の人が浜辺にあふれ、立派な宝物を捧げた人たちもたくさんいます。明石の君はそれが源氏の君の一行だと知り、あまりにも盛大な参詣に身分の違いを改めて感じて圧倒され、その日はお詣りを取りやめることにしました。
そのことを惟光(これみつ:お付きの者)から聞いた源氏の君は、明石の君を不憫に思い、文を送るのでした。
みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひけるえには深しな
“身を尽くして恋い慕っているから、澪標(みおつくし)のあるこの難波でも会えたのです。わたしたちの縁は深いですね”
源氏の君
数ならで難波のこともかひなきになどみをつくし思ひそめけむ
“身分も低く、何事もあきらめて生きているこの私が、なぜ身を尽くしてまであなたをお慕いしてしまったのでしょうか”
明石の君
ふたりが詠み交わしたこれらの歌から、この帖の名は「澪標」となりました。
「澪標(みおつくし)」とは航路を示す標のことです。
河口に開かれた港には、土砂が堆積して水深が浅くなっている場所があるので、座礁を避けるために、比較的水深が深く航行できる溝状の窪地(澪 [みお])との境に標が立てられました。それを澪標と言います。
大阪の繁栄は水運に因るところが多く、港にもゆかりの深い澪標は、明治27年4月、大阪市の市章となりました。
和歌では「澪標」は「身を尽くし」と掛けられ、恋の歌によく使われるそうですよ。
源氏の君が通り過ぎた翌日、明石の君は参詣しました。その後明石に帰るとまた物思いが募り、源氏の君との身分の違いを悲しく思います。
それからすぐ源氏の君からの使いが来ました。近いうちに京へお迎えするとのことです。
明石の君は、源氏の君の言葉に頼って京に行ったところで、結局心細い思いをするのではないだろうかと不安な気持ちになります。明石の入道も、娘とその子を京にやるのは心配だが、かといって田舎に埋もれさせるのも心配だと思っています。明石の君はいろいろと不安に思い、源氏の君に京へ行くかどうか迷っていると返事をするのでした。
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▼訳・瀬戸内寂聴の「源氏物語」は、比較的わかりやすい文章で書かれているので、源氏物語を読破してみたい方におすすめ。全十巻からなる大作です。巻ごとの解説や、系図、語句解釈も付いています。
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住吉大社
住吉大社とは
住吉大社は大阪府大阪市住吉区にある神社。全国に2000社以上ある住吉神社の総本社です。
祭神は、海の神・筒男三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)と神功皇后。これらの住吉大神は海中から出現されたため、古くから海の神として信仰されてきました。
その他、祓の神、和歌の神、農耕・産業の神としても知られています。
反橋(太鼓橋)
鳥居をくぐると「すみよっさんの太鼓橋」と親しまれている朱塗りの「反橋」があり、「この太鼓橋を渡るだけで厄払いになる」と言われています。渡るというより、のぼっておりるという表現が近いくらいにとても急な階段状になっています。
五所御前(五大力石)
第一本宮の南側にある「五所御前」。ここは約1800年前の住吉大神鎮座の際に最初にお祀りされた場所とされる神聖な場所で、体力・智力・財力・福力・寿力を授かると言われており、ここにある「五」「大」「力」と書かれた石を探して拾ってお守りにすると願いが叶うと言われています。
源氏物語関屋澪標図屏風
住吉大社参道に「源氏物語関屋澪標図屏風」のうち「澪標図」があります。俵屋宗達画の国宝に指定されている作品。左側には太鼓橋や鳥居が描かれています。右上に見えるのは明石の君の舟でしょうか。真ん中に大勢いるのが、源氏の君の一行です。
住吉大社
住所:大阪府大阪市住吉区住吉2丁目9−89
公式サイト:住吉大社 (sumiyoshitaisha.net)
第14帖 澪標②
六条の御息所の死
朱雀帝が譲位して御代が替わったので、伊勢の斎宮も替わり、前の斎宮とその母である六条の御息所は京へ戻ってきました。源氏の君は、昔と同じように心を込めてお見舞しますが、御息所は「またいつか冷たくなるかもしれない。もう同じ過ちは繰り返さない」と心に決めています。
源氏の君も、無理に御息所の心を動かしても自分の気持ちが変わるかもしれないので、あえて逢いに行こうとはしません。
御息所は六条の旧邸を手入れして昔のように優雅に住んでいましたが、急に重い病にかかってしまいました。神に仕える伊勢の斎宮御所で過ごしていた長い年月の間は仏事を遠ざけていたこともあり、恐ろしく不安になったので、出家することにしました。
出家のことを聞いた源氏の君は、御息所のもとへ。御息所がとても衰弱している様子を見て、源氏の君は、変わることのない自分の御息所への気持ちをお見せ出来ないまま逝ってしまわれるのかと残念に思って激しく泣きました。これほどまでに思ってくれていたのかと御息所は心を動かされ、斎宮の面倒をみてもらえないかと頼みます。源氏の君はもちろんですと答えますが、御息所が「取り越し苦労かもしれませんが、娘を決して恋の相手に選ばないでいただきたいのです。斎宮には色恋沙汰に悩むことのない暮らしをさせたいので」などと言うので、源氏の君は「ひどい言われようだ」と思いながらも「まだ浮気癖が治っていないと思われているのは心外ですが、私の本心は自然とわかっていただけるでしょう」と答えました。
外が暗くなりました。こっそりと覗いた時にかすかな火影の中に見えた御息所の姿は、絵に描いたようにすばらしく美しいものです。御帳台の東側にいるのが斎宮らしく、ちらっとしか見えないのですが、美しい娘のようで品も愛嬌もあるようです。源氏の君はやはり心惹かれてしまうのでした。
そして七、八日くらいたって、御息所はお亡くなりになりました。
源氏の君への愛情があまりにも深い故に、生霊にまでなってしまった六条の御息所。あれほどまでに愛してくれた女性がいなくなってしまったと、源氏の君はとても悲しむのでした。
源氏の君が指示を出して法事の手配をし、葬儀は厳粛に行われました。斎宮には何度もお見舞いの文を送ります。斎宮はようやく心も落ち着いて自分で返事を書くようになり、源氏の君と歌のやりとりなどもするようになりました。
斎宮が伊勢に下向された頃から、源氏の君は斎宮のことが気になっていました。今はいつでも言い寄れると思ったのですが、御息所に念押しされたこともあり、世間も御息所の時と同じようになるのではと邪推しかねないので、その裏をかいて清くお世話しようと思い直します。そして冷泉帝がもう少し大きくなったら、斎宮を入内させようと考えていました。
朱雀院は、あの伊勢下向の時の儀式の時に斎宮を見て以来、ずっと斎宮のことを想い続けていました。
妃にしたいと望んでいたのですが、御息所が断っていたのです。「高貴な妃たちの中へ、後見もない斎宮を入れるわけにはいかない」と思っていたからです。御息所が亡くなってからも、院のご要望は続いています。
源氏はこれを聞いて、「御息所に斎宮を託されたのですが、冷泉帝には年上の分別のある方が必要だと思いますので、斎宮を入内させたいのです」と藤壺入道の宮に相談します。すると藤壺入道の宮は、「朱雀院にはお気の毒ですが、そのお気持ちに気づかなかったふりをして、冷泉帝の妃にしてしまいましょう」と答えました。
権中納言(前の頭中将)の娘・弘徽殿の女御も、兵部卿の宮(藤壺の兄/紫の上の父)が入内させようとしている娘も冷泉帝の遊び相手くらいの年頃なので、もっとしっかりした年上の方が冷泉帝に付くことを藤壺入道は嬉しく思うのでした。
第15帖 蓬生(よもぎう)
源氏の君が須磨・明石で辛い生活を送っていたころ、都では女君たちがそれぞれ悲しい思いをしていました。
あの末摘花は、父親王が亡くなってからは頼る人もなく生活が困窮していましたが、源氏の君との突然の出会いから、源氏の君のお世話を受けて不自由のない暮らしができるようになりました。ところが源氏の君が須磨へ行くことに。その頃には源氏の君に忘れられ、今となってはもう邸は荒れ、元の困窮した生活に戻ってしまいました。そのうち女房たちも皆次々と去って行き、老齢で亡くなった女房たちもいて、月日が経つにつれ人が少なくなっていきました。
末摘花はあの赤鼻の姫君。とてもきれいとは言えない容貌の、内気な姫君です。
女房たちは生活の足しにするために、邸や道具を売ってしまおうと提案するのですが、末摘花は「父の形見だから」と絶対に譲ろうとはしません。たまに訪れる兄の禅師の君も世に稀なほど古めいていて浮世離れしており、この荒れた邸に生い茂った雑草や蓬を取り払ってあげようとも思わないのでした。
こんな末摘花ですが、もう何年も会っていない源氏の君を今でも待ち続けています。「何かのついでに思い出してもらえるのではないか。風の便りででも私のこの暮らしぶりを知ったら、必ず訪れてくれるだろう」とずっと思っています。
末摘花の叔母は、自分の夫が九州で任務につくことになったので末摘花も連れて行こうとします。叔母は、姉である末摘花の母に見下されていたことを根に持っており、身分の高い末摘花を自分の娘の侍女として仕えさせようと企んでいたのです。しかし、説得しても説得しても末摘花は断ります。あきらめた叔母は、自分と末摘花の両方に仕えていた侍従を連れて行ってしまいます。
十一月頃になって、雪やあられが降るようになりました。よそでは溶けてしまうような雪でも、末摘花の邸では蓬(よもぎ)が陽をさえぎっているので溶けずに深く積もっています。末摘花は何もすることがなくしょんぼりしています。共にたわいない話をして心を慰めていた侍従もいなくなり、夜はほこりが積もる御帳台の中でひとりでさびしく寝ているのでした。
四月になり、花散里を思い出した源氏の君はこっそり出かけました。美しい夕月夜の中、昔の恋などを思い出して進んでいると、すっかり荒れて森のようになっている家を通りかかりました。見覚えのある木立に「ここは常陸の宮の邸だな。姫君はまだいるのだろうか」と思い、惟光に確認させに行きました。
「こんな雑草の中で、どんな気持ちで暮らしているのか」と今まで訪れなかった自分の冷たさを思い知ります。
源氏の君は女君たちのもとへこっそり通うこともなかなかできなくなってきたので、このお忍び歩きのついでに寄って行こうとしますが、突然入って行くことはためらわれます。気のきいた歌でもと思いましたが、そういえば返事の遅い人だったから惟光を待たせるのもかわいそうだと、車を降りて自分で行くことにしました。
「踏み分けられないほどの蓬の露でございますので、従者に露を払わせましょうか」と惟光が言うと、源氏の君は歌を詠みました。
尋ねても我こそ訪はめ道もなく深き蓬のもとの心を
“探ってでも私からお尋ねしよう 踏み分ける道もなく深く茂った蓬生の宿で暮らす昔のままの姫君の深い心を”
源氏の君
末摘花は、源氏の君が来てくれたことをとても嬉しく思います。源氏の君は「長い間会わなくても私の心は変わらないのに、便りもくださらないあなたのお心を試すために今まで訪ねもしませんでした。これほど草深い邸で長い間過ごされてきたのもお気の毒ですが、涙で袖を濡らしながら訪ねて来たわたしの気持ちも察してくださいませんか。」などと、思ってもいないことを愛情を込めて言います。邸の松の木が高くなっているのを見て、その年月を思って源氏の君は感極まり、自分の身に起こった様々なことを思い出すのでした。
藤波のうち過ぎがたく見えつるは松こそ宿のしるしなりけれ
“松にかかる藤の花を見て通り過ぎがたく思ったのは その松が 変わらずに私を待ってくださるあなたの家の目印だったからなのですね”
源氏の君
年を経て待つしるしなきわが宿を花のたよりに過ぎぬばかりか
“長い間待っていても来て下さらなかった私の家に立ち寄ってくださったのは ただ藤の花を愛でるためだけだったのですね”
末摘花
他の男に頼ろうともせず、ひたすら源氏の君を待って長い年月を過ごしてきた末摘花。源氏の君は、末摘花の恥ずかしがり屋で気品があるところに心惹かれてお世話しようと思っていたのに、うっかりご無沙汰してしまって可哀そうなことをしてしまったと思います。それでもここで夜を明かそうとはしませんでした。
源氏の君は、末摘花の邸の蓬を払わせて邸も修繕させました。訪ねはしないものの、文は細やかに書きます。末摘花の邸は活気が戻って仕える人も増え、庭も整いました。
二年ほどこの古い宮邸で過ごした後、源氏の君は末摘花を二条の東の院へ迎えました。源氏の君が泊まることはありませんでしたが、何か用があって東の院に来た時にはちょっと顔を出したりして、放っておくことなどはしませんでした。
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▼大和和紀さんの漫画『あさきゆめみし』は読みごたえがある超大作。私は源氏物語を読む前に、あさきゆめみしを読破しました。「源氏物語の訳本を読んでみたけれど、文章がわかりにくくて挫折した」という、じっくりと源氏物語を読んでみたいという人にとてもおすすめです。
私は↓この「完全版」ではなく、文庫サイズのもの(全7巻)をBOOK・OFF(ブックオフ:古本)で買って揃えました♪
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第16帖 関屋
あの空蝉の夫である伊予の介は、桐壺院崩御の翌年、常陸の介になって任国に下りましたが、空蝉も一緒について行っていました。源氏の君が須磨で詫び住まいされていることもはるか遠い国で聞いていましたが、文を送ることのないまま年月が過ぎ、源氏の君が帰京した翌年に常陸の介も任期を終えて帰京しました。
空蝉は、身分の違いや夫を持つ身であることを理由に、心惹かれながらも源氏の君を拒んだ女性です。
常陸の介一行が逢坂の関に入るちょうどその時、大臣になったお礼参りに石山寺(滋賀県)に来た源氏の君一行とかち合ってしまいました。
常陸の介一行だと知った源氏の君は、その中の女車に目を留め、あの薄情な空蝉ではないかと懐かしみます。右衛門の佐(うえもんのすけ)(空蝉の弟・前の小君)を呼び寄せ、「今日私が逢坂の関まであなたをお迎えに来たことを、どうでもいいことと受け流さないでくださいね」などと空蝉にお伝えになります。源氏の君は多くのことをしみじみと思い出し、どうしようもない気持ちに。空蝉も昔のことを忘れられずにいたので胸がいっぱいになるのでした。
源氏の君が石山寺からお帰りになる時には、右衛門の佐がお迎えに来ました。源氏の君は右衛門の佐が小さい頃から世話をたくさんしてやったのに、須磨へ行く時には世間体を気にして常陸に下ってしまったので、ずっと右衛門の佐をよく思っていませんでした。しかしそんなことは態度にも出さず、昔のほどではないにしろ、親しい家人だと思ってるようです。
常陸の介の子・紀伊の守は、今は河内の守になっていました。その弟の右近の将監は源氏の君に付いて須磨に下ったので、源氏の君はとりわけお引き立てなさいます。それを見て皆、「どうして源氏の君に仕え続けなかったのだろう」と当時のことを悔やんでいるのでした。
源氏の君が須磨へ下向したころ、こんなふうにとても多くの人たちが源氏の君を見放したのでした。
源氏の君は右衛門の佐を呼び出し、空蝉への文を渡します。「思いがけなく再会したのは、あなたと私に深い縁があるからだろう。私はずっとあなたのことを想い続けています」右衛門の佐は空蝉のもとへ行き、「裏切った私に、昔と同じように優しくしてくださいました。こんな一時の関係など無用だとは思いますが、私にはお断り申し上げることなどできませんので、お返事を書いてくださいませんか」と言います。空蝉は、源氏の君からの久しぶりの文に思いを抑えることができなかったのでしょうか、返事を差し上げることにしました。それからは、源氏の君は折につけ文を送り、空蝉の気を引こうとするのでした。
こうしている内に、常陸の介は年老いたせいか病気がちになってしまい、亡くなってしまいました。常陸の介は生前、子供たちに空蝉のことを頼んでいましたが、しばらくは親切にしていた息子たちも次第に冷たくなっていきました。
前々から空蝉に好意を寄せていた河内の守だけは、まだ優しく接していましたが、だんだん下心が出てくるようになりました。空蝉は、不運に見舞われた人生を過ごしてきた上に、夫に先立たれ、挙句の果てに義理の子にまで口説かれるなんてと嘆くことが多くなり、誰にも言わないまま出家してしまったのでした。
「澪標・蓬生・関屋」をご紹介しました。最後まで読んでいただきありがとうございます。次回は「絵合」からです。
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