【源氏物語】⑤「賢木・花散里」あらすじ&ゆかりの地巡り|わかりやすい相関図付き

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2024年の大河ドラマは第63作『光る君へ』。時代は平安、主人公は紫式部。『光る君へ』では、藤原道長との出会いにより人生が大きく変わることとなる紫式部の人生が描かれています。

たまのじ

紫式部を演じるのは吉高由里子さん。藤原道長は柄本佑さんが演じます。

私は『源氏物語』を読み始めました。『源氏物語』は紫式部の唯一の物語作品。せっかくなので、『源氏物語』を読み進めるのと並行して、あらすじや縁のある地などをご紹介していこうと思います。これを機に『源氏物語』に興味を持っていただくことができたなら、とても嬉しいです。

※和歌を含め、本記事は文法にのっとっての正確な現代語訳ではありません。ご了承ください。

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▼巻ごとのあらすじを中心に、名場面や平安の暮らしとしきたりを解説。源氏物語が手軽に楽しくわかる入門書としておすすめの一冊! 

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目次

第10帖 賢木(さかき)①

六条の御息所のいる野宮へ

六条の御息所は、伊勢の斎宮(御息所の姫君)と一緒に野宮の潔斎所にいます。「葵の上が亡くなったので今度こそは正妻に」と世間に噂されますが、源氏の君はあれから訪ねても来ません。御息所は源氏の君への一切の未練を断ち切って、伊勢に下る決心をしました。
源氏の君はさすがに名残惜しくなり手紙だけは送るのですが、今さら会うことはできないとふたりとも思っています。しかし源氏の君は思い直して、野宮の御息所のもとへ向かいました。

広い嵯峨野に草を分けて入ると、秋の花はみな枯れ、虫の音や何かの楽器の音が絶え絶えに聞こえ、とても趣があります。「どうして今まで来ようとしなかったのだろう」と源氏の君は悔やみました。
小柴垣で囲った中に板屋があちこちにあり、黒木の鳥居は神々しく気後れするような雰囲気です。人気が少ないこんなひっそりとしたところで、御息所が物思いに沈みながら長い時間を過ごしてきたのかと思うと、源氏の君はたまらなく切なくなります。

せっかく訪ねて来たのになかなか会おうとしてくれない御息所。源氏の君が「ふたりの間にあるわだかまりを解くために、お話させてください」と説得すると、しぶしぶ御息所がにじり出てきたので、源氏の君は折って手に持っていた榊を御簾越しに差し出します。そしてふたりで歌を交わしました

源氏の君は、榊を差し出しながら、「この榊の葉のように変わらない私の心の赴くままに、越えてはならない垣根も越えてきました。それなのに冷たいですね」と言います。

たまのじ

榊の葉はどの季節も緑のままなので、「変わらぬ心」を表すものとして源氏の君は折ってきたのでしょうね。「今でもあなたをお慕いしている」と伝えたいのだと思います。

榊(さかき)

神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れる榊ぞ
神垣には道標となる杉はないのに、どう間違って榊を折ってこちらへ来られたのですか

六条の御息所

古今和歌集に「私が恋しくなったら訪ねてきてください。門のところにある杉の木を目印に」という内容の歌があり、杉は恋人を訪ねる時の目印という意味合いがあります。御息所はそれを引用して「目印となる杉なんてないのに」と言ったのです。「神垣には目印の杉はないのに、なぜ榊を折って来たのですか」「来てくださいなんて言っていないのに、何を目的に榊を折ってここに来たのですか」という気持ちを詠んだのでしょう。

少女子があたりと思へば榊葉の香をなつかしみとめてこそ折れ
神にお仕えする幼い斎宮がいらっしゃる辺りだと思うと、榊葉の香りが慕わしくて折ってきました 

源氏の君

心とは裏腹に冷たい態度をとる御息所に、源氏の君は優しくこたえました。

六条の御息所との別れ

源氏の君はすっと御簾の中へと身を入れ、やっと御息所と顔を合わせます。
会いたい時に会い、御息所から慕われていると思えた頃は、いい気になってのんびり構え、切なく恋い慕うこともありませんでした。また、御息所の悪いところを知ってからは恋心も冷め、ふたりの仲はこうも隔たってしまいました。久々に会ったことで昔のことが思い出され、心が乱れるのでした。
御息所も、悲しみをこらえようとはしますが、どうしても隠しきれません。そんな様子を見て、源氏の君は御息所に、伊勢の下向を思いとどまられるよう何度も申し上げます。御息所はようやく源氏の君をあきらめる決心がついたのに、会ったがために決心が揺らぎそうになります。
その夜、ふたりは残すことなく語り合います。だんだん明けていく空の景色は、この時のために造られたかのような美しさでした。

あかつきの別れはいつも露けきをこは世に知らぬ秋の空かな
“暁の別れはいつも悲しくて涙にくれていますが、今朝のこの別れは今までになくしみじみと悲しいものです”

源氏の君

源氏の君は御息所の手を取ります。松虫の鳴き枯らした声も、この朝の別れを知っているかのように悲しく聞こえます。

おほかたの秋の別れもかなしきに鳴く音な添へそ野辺の松虫
“どの秋の別れも悲しいのに、野辺の松虫よ、もっと悲しくなるから鳴かないで”

六条の御息所

その朝、源氏の君は野宮を発ちます。帰りの道では涙が止まりません。
そして御息所は別れのつらさに耐えられず、ぼんやりと物思いに沈んでいます。後で源氏の君から届いた手紙にはしみじみと情がこもっていて、御息所の決心が崩れてしまいそうにはなるものの、翻したところで今更どうしようもありません。伊勢下向の日が近づくにつれ、軽々しい浮名ばかり流してしまったことが情けなく思えてきて、ずっと嘆いているのでした。

野宮神社*御息所との別れの地に建つ神社

野宮神社とは

嵯峨野の竹林に囲まれて建つ野宮神社。嵯峨野めぐりの起点とされています。

野宮は、天皇の代理として伊勢神宮に仕える斎王(斎宮)が伊勢に行く前に身を清めたところ。平安時代の野宮は主として嵯峨野一帯に設けられ、天皇一代ごとに建物は造り替えられました。南北朝時代の戦乱で斎王制度はなくなりましたが、神社として残されたのが野宮神社です。

御祭神は学問の神・野宮大神(天照皇大神)縁結びにご利益がある野宮大黒天、芸能上達の白峰弁財天、子宝安産の白福稲荷大明神、交通安全の大山弁財天などの社が鎮座しており、多くの人たちが参拝に訪れます。

黒木鳥居・小柴垣

黒木鳥居

黒木鳥居とは木の皮を剥かないままの鳥居のことで、日本最古の鳥居の様式です。野宮神社では「くぬき」を使って鳥居を立て替えているそうです。

小柴垣

鳥居の両袖には小柴垣があります。この小柴垣にはクロモジの木が使われているそうです。

黒木鳥居と小柴垣は源氏物語の中で、潔斎の場である野宮の風情を表すのに、細やかに描写されています。

ものはかなげなる小柴垣を大垣にて、板屋どもあたりあたりいとかりそめなり。黒木の鳥居ども、さすがに神々しう見わたされて、わづらはしきけしきなるに

源氏物語「賢木」より

お亀石

お亀石

亀の形に似ている神石「お亀石」。お詣りした後に、願い事をしながらこの石をなでると、1年以内に願いが叶うと言われています。

斎宮旧趾・じゅうたん苔

じゅうたん苔

野宮神社の中に、小さな苔の庭園があります。とても可愛らしい小さな橋も見えますね。手前には石碑もあります。

野宮神社
住所:京都市右京区嵯峨野宮町1
公式サイト:良縁、子宝、学問の神様 野宮神社 ── 源氏物語の宮 ── (nonomiya.com)

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▼姫君はネコ、殿方はイヌのイラストで、物語の全体像を分かりやすく解説!当時の皇族・貴族の暮らし、風習、文化、信仰などについても詳しく紹介されています。

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第10帖 賢木(さかき)②

斎宮と御息所が伊勢へ

桂川で斎宮がお祓いをします。桐壺院の配慮もあるのか、いつもの儀式よりも立派に執り行われます。斎宮が野宮を出る時に、源氏の君は手紙を送ります。源氏の君はその返事を見て、斎宮は幼いわりには情緒を心得ていらっしゃるのだなと思います。「いつでも顔を見ることの出来た幼い頃に見ておかなかったのは残念だが、世の中は不定なものだから、いつか顔を見るようなこともあるだろう」。普通でない面倒な事情のある女性には必ず心惹かれる悪い癖がまた出てしまうのです。

斎宮が宮中へ参内しました。御息所はこの年になってまた宮中を見ることになり、とても悲しく思います。十六で東宮のもとへ、二十で東宮は亡くなり、三十でまた宮中をご覧になったのでした。
斎宮は十四。とても美しい斎宮に朱雀帝は心を動かされ、別れの櫛をお挿しになる時には涙をお落としになるのでした。

発遣の儀
斎宮が伊勢に下向するに先立って臨む出立の儀式。斎宮の髪上げした髪に、帝が黄楊の櫛を挿します。「別れの御櫛」とも。帝は「京の方におもむきたまふな」と仰せになります。

桐壺院崩御

病に伏していた桐壺院の容体がますます悪くなります。桐壺院は朱雀帝に東宮のことを頼みます。そして源氏の君についても、「何につけても隠し立てせず、後見人だと思うように。政治を執らせても間違いはなく、世の中をうまく治めていける相のある者だ。だから面倒が起きないように、臣下として朝廷の補佐役をさせようと思ったのである。私のその思いを受け継いでほしい。」と伝えました。

朱雀帝の後ろ盾となっている右大臣や弘徽殿大后が源氏の君のことを疎ましく思っていることを知っていた帝は、源氏の君を守ろうと朱雀帝に強くお願いした、というわけです。

その次の月、桐壺院が崩御しました。藤壺の中宮や源氏の君の悲しみは計り知れず、不幸が続く源氏の君は世を空しく感じます。出家しようとさえ思うのですが、そうすることも出来ません。
四十九日が過ぎると、皆散り散りに去っていきました。藤壺の中宮は、弘徽殿大后の思うようになるであろう先の世では生きづらくなるだろうと思い、三条の里宮へ帰ります。
源氏の君の威勢にすがろうと群がっていた者どもの姿も、今ではもうほとんどありません。これからはあらゆることがこんなふうになっていくのだろうと、源氏の君はとても淋しく思うのでした。

たまのじ

桐壺院が亡くなった今、右大臣の権力が強くなっていく一方、左大臣側の源氏の君の立場は弱くなっていったのです。

かつて源氏の君と扇を交換したあの朧月夜(おぼろづきよ)が、尚侍(ないしのかみ)になっていました。振る舞いは上品で人柄もよく、朱雀帝の寵愛を格別に受けています。弘徽殿大后は里邸で過ごすことが多くなり、参内するときは梅壺を使うので、弘徽殿には妹である朧月夜が住むことになりました。
華やかに陽気に暮らす朧月夜。実は今でも源氏の君と手紙を交わし、密会を繰り返しています。そして朱雀帝もふたりの恋が続いていることを耳にしてはいるのですが、とがめることはなさりません。

源氏の君との逢瀬のせいで妃になれなかった朧月夜。源氏の君も、困難な恋にのめりこんでしまういつもの悪い癖で、恋心を募らせているのでした。

賀茂の斎院(弘徽殿大后の姫君)は、父である桐壺院が亡くなられたので、斎院を下りることになりました。代わりに、源氏の君がずっと思いを寄せている朝顔の君が斎院となります。朝顔の君が神に仕える身分となってしまったことを、源氏の君はとても残念に思います。しかしそれでもなお、朝顔の君や女房の中将に絶えることなく手紙を送ります。今の自分の境遇を気にもせず、とりとめのない恋をし続けるのでした。

神に仕える斎院に言い寄るなんてことは、絶対にあってはならないこと。それなのに源氏の君は、そんなことはおかまいなしと自分の気持ちを優先させるのでした。これもまた源氏の君の悪い癖ですね。

朝顔の君は、最後まで源氏の君を拒み続けた女性。手紙のやりとりをするだけの間柄です。源氏の君がどれほど思いを伝えても、決してなびくことはありませんでした。

たまのじ

「六条の御息所のようにはなりたくない」。そう思う気持ちが、源氏の君を受け入れさせなかったのでしょう。

藤壺の中宮との逢瀬

藤壺の中宮は、相変わらず源氏の君を寄せつけず、冷たい態度をとります。東宮(次の帝)が本当は源氏の君との子であるということを知らずに桐壺院は亡くなりましたが、もし源氏の君との噂が立ってしまったら、東宮の身に不吉なことが起こるだろうと心配しているからです。しかし、東宮のことに関しては、源氏の君をひたすら頼りにしています。
一方、藤壺の中宮に対する源氏の君の思いは今も変わっていません。中宮がなんとかして源氏の君を避けようとしているのに、源氏の君は中宮のもとに忍び込んでしまいます。はかない逢瀬を夢のように思いながらも、源氏の君は切ない思いを中宮に伝え続けます。中宮は冷たくあしらっていましたが、突然胸を押さえて苦しみ始めます。女房たちが駆けつけてくるので、中宮付きの王命婦などが、源氏の君を慌てて隠します。脱ぎ捨ててある源氏の君の召し物を隠し持っているのも、気が気ではありません。「僧を早く呼びなさい」と言う声を、源氏の君はやるせない思いで聞いています。

しばらくして藤壺の中宮の容体が落ち着きます。お付きの王命婦らがどうやって秘かに源氏の君を帰そうかと話しているうちに、源氏の君はまた中宮へと近づいていきます。中宮は気づいて逃げようとしますが、逃げられません。源氏の君は長い間こらえて来た恋心が一挙にあふれ、胸の内を泣く泣く訴えます。中宮はその言葉に心打たれることもありましたが、また罪を繰り返すわけにはいかないので、優しくもうまくも言い逃れているうちに、今宵も明けていきました。帰る前に中宮と交わした歌の中で中宮に諫められた源氏の君は、茫然として帰っていくのでした。

逢ふことのかたきを今日に限らずは今幾世をか嘆きつつ経む
“お逢いしにくい日がこれからも続くのでしたら、私は何度でも生まれ変わり、嘆きながら過ごすでしょう”

源氏の君

ながき世の恨みを人に残してもかつは心をあだと知らなむ
“幾世にもわたる恨みを私に残すと言われても、それはあなたの心が誠実ではないからなのに”

藤壺の中宮

源氏の君、雲林院へ

あれ以来、源氏の君は二条の院にこもって宮中にも参上せず、手紙も送りません。中宮のつれない心をひたすら悲しく思います。「今こそ出家を」と思いますが、自分に頼り切っている紫の上を放っていくことができません。
藤壺の中宮も気分がすぐれません。東宮のために源氏の君が必要であり、源氏の君が出家することになってしまったらと思うと心が痛みます。しかし、「こんな関係が続くと、いつか世にふたりのことがばれてしまう」などと考えると生きづらく、出家しようと決心します。その前に東宮に会いに行きました。にこにこする東宮をとても愛らしいと思う一方、あまりにも源氏の君に似ている顔を見て、心苦しく思うのでした。

藤壺の中宮の冷淡さにふてくされて、二条院にこもっていた源氏の君。何も手につかないので、雲林院に行くことにしました。亡き母・桐壺の御息所の兄の律師がこもっている坊で勤行します。場所柄か、世の無常を思いながら夜を明かすこともあり、律師が尊い声で読経するお勤めをとてもうらやましいとも思うのです。
しかし「なぜ世を捨てられないのか」と考えると、心に浮かんでくるのは紫の上のこと。俗世に未練があるので出家できないのです。長い間会えずにいるので、手紙だけはせっせと送ります。
また、朝顔の斎院にも手紙を送ります。情を込めた歌を詠むのですが、朝顔の斎院には冷たくあしらわれました。「そういえば、六条の御息所と野宮で別れたのは去年の今頃だったなあ」と思い出し、「また同じことを繰り返しているのか」と嘆いたりもします。無理を通せばきっと思い通りになった時にはのんきに構え、どうにもならなくなった時になって悔しがるというおかしな性分なのです。

源氏の君は朝顔の斎院に次のような歌を詠みました。

かけまくはかしこけれどもそのかみの秋思ほゆる木綿欅かな
“言葉にするのも恐れ多いですが、あなたと過ごしたあの秋のことが思い出される木綿襷(ゆうだすき)です”

源氏の君

さらに「昔を今にすることはできないけれど、あの時のような関係には戻れそうに思いまして」と、さも親密そうな言葉を添えて、この歌を唐の浅緑の紙にしたため、榊に木綿をつけて朝顔の斎院に送ったんです。それに対して朝顔の斎院はこう返しました。

そのかみやいかがはありし木綿欅心にかけてしのぶらむゆゑ
“その昔に私とあなたとの間に何があったというのでしょうか。あなたが思い出して偲ぶようなことがありましたか”

朝顔の斎院

朝顔の斎院のなんとも素っ気ないお返事。源氏の君に少しは心惹かれる時はあっても、決して一線は越えないという強い信念を貫き通した女性。なんだかかっこいいですね。

たまのじ

雲林院で修業をしながらも恋にうつつを抜かし、神に仕える斎院にまで掟破りにも歌を詠むなんて、源氏の君の身勝手さにはほとほと呆れるばかりです。

雲林院*藤壺の中宮に拒絶された源氏の君がこもった寺

写真提供:京都フリー写真素材集

雲林院とは

雲林院は、京都市北区紫野にある臨済宗の寺院。

平安時代初期に淳和天皇の離宮・紫野院として平安京の北のはずれに作られました。桜や紅葉の名所として知られ、淳和天皇は文人を交えてたびたび行幸したそうです。
869年に寺院に改められました。鎌倉時代に入って衰退しましたが、1324年に復興。大徳寺の塔頭となります。以後は禅寺となりますが、応仁の乱(1467年)により廃絶しました。
現在の雲林院は1707年に再建されたものです。

写真提供:京都フリー写真素材集

雲林院と紫式部

かつての雲林院の敷地内に建てられた大徳寺の塔頭・真珠庵。そこに「紫式部産湯の井戸」があります。

また、雲林院の近くには紫式部のお墓があります。紫式部は雲林院周辺で生まれ育ったとされ、雲林院がある「紫野」から「紫式部」としたのではと言われています。

雲林院
住所:京都府京都市北区紫野雲林院町23

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