【源氏物語】④「葵」あらすじ&ゆかりの地巡り|わかりやすい相関図付き

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2024年の大河ドラマは第63作『光る君へ』。時代は平安、主人公は紫式部。『光る君へ』では、藤原道長との出会いにより人生が大きく変わることとなる紫式部の人生が描かれています。

たまのじ

紫式部を演じるのは吉高由里子さん。藤原道長は柄本佑さんが演じます。

私は『源氏物語』を読み始めました。『源氏物語』は紫式部の唯一の物語作品。せっかくなので、『源氏物語』を読み進めるのと並行して、あらすじや縁のある地などをご紹介していこうと思います。これを機に『源氏物語』に興味を持っていただくことができたなら、とても嬉しいです。

※和歌を含め、本記事は文法にのっとっての正確な現代語訳ではありません。ご了承ください。

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▼巻ごとのあらすじを中心に、名場面や平安の暮らしとしきたりを解説。源氏物語が手軽に楽しくわかる入門書としておすすめの一冊! 

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目次

第9帖 葵①

朱雀帝の即位

桐壺帝は譲位して院となり、弘徽殿の女御が産んだ朱雀帝が即位。藤壺の中宮が産んだ若宮が東宮(皇太子)となり、源氏の君が東宮を支えることに。
譲位後、藤壺の中宮がずっと桐壺院のそばにいるので、弘徽殿の皇太后は苛立っています。

朱雀帝が即位したので、弘徽殿皇太后の父である右大臣方が権勢をふるうようになりました。源氏の君の正妻・葵の上は左大臣の姫君なので、源氏の君は思うように行動できません。そして、朱雀帝の東宮(皇太子)となった若宮は本当は自分と藤壺の中宮との子のため、源氏の君は父帝を裏切った後ろめたさを抱えています。

六条の御息所の姫宮が斎宮に

六条の御息所と前・東宮との姫宮が伊勢の斎宮に選ばれます。御息所は、源氏の君に大切にしてもらえないことがつらく、姫宮に付いて自分も伊勢に下ろうかと思っていました。
桐壺院は源氏の君に「亡き前・東宮(桐壺院の同腹の兄弟)がとても大切になさっていた御息所を、軽々しく扱ってはいけない」と注意します。源氏の君もそう思うのですが、公然と妻として迎えることはためらうのでした。

「斎宮」とは
新帝が即位するごとに伊勢神宮に遣わされる未婚の内親王または女王のこと。三年間の潔斎(けっさい)(神事や仏事を行う前に心身を清めること)の後、伊勢に下る。

源氏の君よりも年上の御息所は、自分から結婚して欲しいなんて言えず、かと言って源氏の君に捨てられることはプライドが許さない、いっそこのまま遠くへ行ってしまおうと考えたんです。でも、源氏の君を心から慕っているので、離れて生きていけるのだろうかと思い苦しんでいるんですね。

葵の上の懐妊

朝顔の君は御息所の噂を聞いて「同じようにはなりたくない」と強く思い、源氏の君への返事も今ではほとんどしなくなりました。かと言って、憎んだり分別のないことをしたりはしないので、源氏の君は朝顔の君のことを「やはり素晴らしい方だ」と思います。

朝顔の君は「帚木」でちらっと出てきましたね。朝顔の君は、桐壺院の兄弟である桃園式部卿の宮の姫君。源氏の君のいとこにあたる女性です。源氏の君が17歳の頃から思いを寄せている女性で、いまだに手紙のやりとりをしています。源氏の君が朝顔を添えて歌を贈ったと、世間では噂されていました。

正妻・葵の上は、浮気な源氏の君を不快に思いながらも、すまして文句も言いません。二人はまだ心を通わせてはいなかったのですが、葵の上が懐妊したことで、源氏の君はしみじみと愛しいと思うのでした。
左大臣邸では誰もが喜んでいますが、一方では不吉な場合に備え、さまざまな物忌をしていました。そんなこともあって、源氏の君は御息所のもとへはあまり通わなくなってしまいました。

物見での車争い

その頃、弘徽殿の皇太后の姫宮・女三の宮が賀茂の斎院になりました。そのため賀茂祭では、通常の神事に加え、儀式が多く行われます。御禊の日、行列をなす人々の中でもとりわけ美しい源氏の君をひと目見ようと、一条大路は人々や物見車で埋まっています。

「斎院」とは
賀茂神社に奉仕する未婚の内親王・女王。伊勢の斎宮に準ずる。

葵の上は気分がすぐれなかったのですが、女房たちに勧められて源氏の君を見に行くことにしました。
ところがすでに隙間もなく物見車が立っていたので、隙間を見つけては周囲の車をどかせます。その中にお忍びと見られる車が。その車の供人は「そんなふうに押しのけてもよい御車ではないぞ」と言いますが、喧嘩が始まってしまいます。争っているうちに、お忍びで来ているのは六条の御息所だと周囲の人々にばれてしまいます。御息所の車はぼろぼろにされた上、奥の方へ追いやられてしまいました。御息所は、憤り以上に、人目を忍んで出てきたことを知られたことが屈辱でたまらないのでした。

プライドの高い御息所。「源氏の君にまだ思いを寄せている」「未練がある」と世間にばれたことはとても耐えがたいものでした。

六条の御息所はあまりにも恥ずかしくて物見もせずに帰ろうとしますが、通り出る隙間もありません。そこへ「源氏の大将がいらしたぞ」と聞こえたので、源氏の君をひと目見たいと思ってしまうのです。
源氏の君は御息所に気づかずに通り過ぎていきます。それなのに葵の上の車に対しては、供人たちまでもが敬意を表しつつ通りすぎて行きます。御息所は自分のことがとても情けなく思えました。

正妻である葵の上と、浮気相手に過ぎない自分との差をまざまざと見せつけられ、六条の御息所は耐え難い屈辱を味わったのです。

影をのみ御手洗川のつれなきに身の憂きほどぞいとど知らるる
“姿をちらりと見ただけのそのつれなさに、ますます我が身のつらさを思い知らされました”

六条の御息所

「涙がこぼれるのを人に見られるのは情けないけれど、まぶしいほどの源氏の君の姿をもし見なかったなら、やはり心残りだったろう」と御息所は思うのです。本当に心の底から源氏の君を慕っていることがわかりますね。

源氏の君は車争いの件を聞いて、「葵の上にもう少し気遣う心があったなら、そんなことにはならずにすんだだろうに。御息所はどんなに嫌な思いをされたことだろう」と気の毒に思い、六条の御息所邸へ行きました。まだ六条邸にいる斎宮(六条御息所の娘)が他人との接触を避けていることにかこつけて、御息所は源氏の君に会おうとはしません。源氏の君はそれを当然とは思いながらも、「なぜお互い歩み寄れないのだろう」と思うのでした。

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御息所は物思いにふけることが普段より多くなりました。源氏の君のことはあきらめましたが、伊勢に行くのは心細く、かと言ってここに残っても人々に軽蔑されて見下されるだけだと寝ても覚めても悩み、腑抜けのようになり具合も悪くなってしまいました。

上賀茂神社・下鴨神社*車争いが起こった「葵祭」

賀茂祭(葵祭)とは

賀茂祭(通称:葵祭)は「京都三大祭」のひとつで、1400年以上の歴史があります。京都御所から賀茂御祖神社(下鴨神社)を経て賀茂別雷神社(上賀茂神社)までの約8kmある道のりを斎王代らの行列が練り歩く「路頭の儀」が5月15日に行われます。

現在では斎王の代理である「斎王代」が注目されていますが、平安時代には内親王が「斎王」として祭に奉仕していました。「葵」の帖で賀茂祭に斎王として奉仕していたのは、弘徽殿の皇太后を母とする桐壺帝の第3皇女です。「葵」の帖では、六条御息所の姫宮が「伊勢の斎宮」に、弘徽殿皇太后の姫宮が「賀茂の斎院」に選ばれており、斎王とはこの2人のことを指します。

源氏の君が賀茂祭に参加したのは、祭の前儀である斎院御禊の日。賀茂川へ向かう斎院一行の行列に加わっている源氏の君をひと目見ようと、多くの人々が集まってきていて、そこで車争いが起こったのです。ちなみに祭の当日は、源氏の君は紫の君と祭を見物しています。

上賀茂神社

“上賀茂神社”と呼ばれている「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」は、京都市北区にある神社。地元では「上賀茂さん」と呼ばれています。

たまのじ

境内全域がユネスコ世界文化遺産に登録されています。

御祭神は賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)。厄除け、方除、開運、必勝などのご利益があります。

その第1摂社と定められている神社が片山御子神社(通称:片岡社)

上賀茂神社の御祭神である賀茂別雷大神の母神・玉依比売命(たまよりひめのみこと)が祀られています。玉依比売命は女性の守護神であり、縁結び、子授け、家内安泰のご神徳があります。

こちらが片岡社の絵馬です。ハートの形に見えるのですが、葵の葉をかたどったものだそうですよ。源氏物語の作者・紫式部も参拝したということで、絵馬に紫式部の歌も綴られています。

また、少し離れたところに紫式部歌碑もあります。

賀茂別雷神社(上賀茂神社)
住所:京都市北区上賀茂本山339番地
公式サイト:賀茂別雷神社(上賀茂神社:かみがもじんじゃ)公式Webサイト (kamigamojinja.jp)

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