プロモーションを含みます
2024年の大河ドラマは第63作『光る君へ』。時代は平安、主人公は紫式部。『光る君へ』では、藤原道長との出会いにより人生が大きく変わることとなる紫式部の人生が描かれています。
紫式部を演じるのは吉高由里子さん。藤原道長は柄本佑さんが演じます。
私は『源氏物語』を読み始めました。『源氏物語』は紫式部の唯一の物語作品。せっかくなので、『源氏物語』を読み進めるのと並行して、あらすじや縁のある地などをご紹介していこうと思います。これを機に『源氏物語』に興味を持っていただくことができたなら、とても嬉しいです。
※和歌を含め、本記事は文法にのっとっての正確な現代語訳ではありません。ご了承ください。
←本のマークの部分だけを読むと、さらに時間を短縮して読むことができます。
*****
▼巻ごとのあらすじを中心に、名場面や平安の暮らしとしきたりを解説。源氏物語が手軽に楽しくわかる入門書としておすすめの一冊!
リンク
*****
目次
第12帖 須磨①
別れの挨拶~左大臣家
朧月夜との関係が露呈し、右大臣側はそれを利用して源氏の君を追放しようとします。源氏の君が、自分が後見を任されている東宮を帝位につけようと朱雀帝に対して謀反を企てているという噂が広まり、源氏の君は官位を剝奪されました。流罪の勅命が下りるまえに、源氏の君は自ら都を離れることを決意します。
紫の上は「もしかしたらこれが最後の別れになるかもしれない」と、連れて行ってと懇願します。源氏の君はこっそり連れて行こうとも思いましたが、寂しいところに連れて行くのはかわいそうだと思ってなだめるのでした。
流罪の勅命が下りてしまうと、東宮の立場も危うくなります。自分から都を離れるのは、これ以上東宮に不利にならないようにするためなのです。
藤壺の中宮が源氏の君と東宮を守るために出家したように、源氏の君も東宮を守るために自分が犠牲になることを選んだのです。
源氏の君は出発前に、前の左大臣家をこっそりと訪ねました。
若君(夕霧:葵の上との子)はたいへんかわいらしく走りまわっています。「会うのは久しぶりなのに、私を忘れていないのだね」と、源氏の君は若君を膝にのせながら涙をこらえきれません。
前の左大臣は、「娘が早くに亡くなってしまったのはとても悲しいけれど、このような悪夢を見ずに済んだのだけが慰めだ」と涙を流しています。
頭中将もやって来て酒を飲み交わしながら話しているうちに、夜も更けていきました。
夜が明けそうになり帰ろうとすると、若君の乳母が大宮(葵の上の母)からの伝言を伝えに来ました。「若君がまだ眠っているので、目を覚ますまでもう少し待っていてくださいませんか」。源氏の君は涙を浮かべ、「会うと別れがつらくなりますので、このまま出て行きます」と答えました。
鳥辺山燃えし煙もまがふやと海人の塩焼く浦見にぞ行く
“葵の上を葬った時のあの鳥辺山の煙に似ていないかと 海人が塩を焼く須磨の浦まで煙を眺めに行きます”
源氏の君
亡き人の別れやいとど隔たらむ煙となりし雲居ならでは
“それならば亡き娘とはますます離れてしまうことでしょう そこは娘が煙となって上がっていった都の空ではないのですから”
大宮
寂れた二条院
源氏の君は二条院に戻りました。部屋付きの女房たちは世の中の変わりように呆然としています。今では源氏の君を訪ねるのも重い罪になるので、馬や車もありません。「今でもこうなのだから、年月がたてばどんなに寂れてしまうだろう。」
西の対では、紫の上が格子も下げずにぼんやり朝を迎えていました。紫の上の父宮とはもともと疎遠でしたが、世間体を気にして文もよこさずお見舞いにも来ません。紫の上には、源氏の君以外に頼る人がいないのです。
源氏の君は髪を整えようと寄った鏡台に映った自分の顔を見て、「ずいぶんやつれているな。鏡に映っているとおりに痩せているのだろうか」と言うと、紫の上は目に涙を一杯に浮かべて源氏の君を見ているのでした。
身はかくてさすらへぬとも君があたり去らぬ鏡の影は離れじ
“我が身はこうしてさすらい続けるとしても いつもあなたの側にあるその鏡に映る私の面影は離れません いつでもあなたの傍にいますよ”
源氏の君
別れても影だにとまるものならば鏡を見ても慰めてまし
“お別れしてもあなたの面影だけでも鏡に残るなら それを見て心を慰めることができるのに”
紫の上
源氏物語石像*源氏の君と紫の上の別れの場面
京都・平安神宮近くにある「京都市勧業館 みやこめっせ」。そこに「源氏物語石像」があります。これは須磨に向かう光源氏と紫の上が別れを惜しむ場面です。
二条院の想定場所はまだ西の方なので、この石像がなぜここにあるのかは調べてもよくわからなかったのですが、2008年の「源氏物語千年紀」に京都伝統産業青年会が京都市に寄贈したものだそうです。
横にある石碑には、先ほどご紹介した光源氏と紫の上の歌が刻まれています。
身はかくてさすらへぬとも君があたり去らぬ鏡の影は離れじ 源氏の君
別れても影だにとまるものならば鏡を見ても慰めてまし 紫の上
源氏物語石像
住所:京都府京都市左京区岡崎成勝寺町
第12帖 須磨②
別れの挨拶~花散里・朧月夜
源氏の君は花散里の邸を訪れました。源氏の君が来てくれるなどと夢にも思っていなかった花散里。ふたりで月を眺めて話したりして夜を過ごします。
源氏の君は夜が明けないうちに二条院へ戻り、身の回りの整理を始めました。
源氏の君に仕える女房たちや、所有する荘園や牧場、あちこちの領地の証書などを皆、紫の上へ譲り渡します。若君(夕霧:葵の上との子)の乳母たちや花散里などへも、趣のある贈り物や日用品などを用意します。あの朧月夜へもなんとかして文を遣わせました。
逢ふ瀬なき涙の河に沈みしや流るる澪の初めなりけむ
“会うことも出来ない悲しさに流した涙の川に身を沈めたことが このさすらいの旅の始まりだったのでしょうか”
源氏の君
涙河浮かぶ水泡も消えぬべし流れて後の瀬をも待たずて
“涙川に浮かぶ水の泡のようにきっと私は消えてしまうでしょう 流れゆくあなたが戻ってきたときの逢瀬を待つこともできずに”
朧月夜
別れの挨拶~藤壺の尼宮・故桐壺院
出立の前日、源氏の君は桐壺院の墓参りのために北山へ向かいました。まず藤壺の尼宮の元へ行きます。
源氏の君は、あらぬ罪に問われることであのことが明るみに出てしまうことを恐れています。東宮の御代が安泰となるなら、自分はどうなってもかまわないと尼宮へ話します。尼宮も胸がつまって何も言えません。
そして源氏の君は、いろいろと思い出して泣くのでした。
月の出を待って桐壺院の山陵へ向かいます。少ない人数で向かいますが、その中に、賀茂の斎院の御禊の日に臨時の御随身として仕えた右近の将監の蔵人もいます。源氏の君と親しくしていることで官職を奪われたたので、お供に加わっていたのです。
下鴨神社が見える辺りで、右近の将監の蔵人が「人々を引き連れて葵をかざして通った昔を思うとつらい」と歌を詠んだので、「あの時は他の人よりも華やかだったからな」と源氏の君はその男を不憫に思うのでした。
憂き世をば今ぞ別るるとどまらむ名をば糺の神にまかせて
“住みづらい都を今 離れていきます あとに残る噂の成り行きは糺(ただす)の森の神におまかせして”
源氏の君
「名を正す」と「糺(ただす)」を掛けています。自分の無実の罪が晴らされるようにと祈りを込めて詠んだのではないでしょうか。
故桐壺院の山陵にお参りすると、院の生前の姿が目の前にあるかのように思い出されます。「あれほどご心配されて遺されたご遺言は、どこへ消えたのだろう」と思いますが、どうしようもありません。
悲しみに暮れながら御陵を拝んでいると、生前の院の面影がはっきり見えました。思わず鳥肌が立つかのようでした。
源氏の君は「故院は私をどう見ておられるだろうか。父を思い眺めていた月も雲に隠れました」と詠むのでした。
*****
▼姫君はネコ、殿方はイヌのイラストで、物語の全体像を分かりやすく解説!当時の皇族・貴族の暮らし、風習、文化、信仰などについても詳しく紹介されています。
リンク
*****
下鴨神社
下鴨神社とは
“下鴨神社”と呼ばれている「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」は、京都市左京区にある神社。
「古都京都の文化財」のひとつとしてユネスコの世界遺産に登録されています。
本殿には、東に賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の玉依媛命(たまよりひめのみこと)、西に玉依媛命の父・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が祀られています。導き、勝利、厄除け、方除、入学、合格、交通、旅行、縁結び、安産、子育てなど、多方面にご利益があり、京都では有名な神社です。
糺(ただす)の森
下鴨神社の参道一帯は森林に囲まれており、この森林を「糺の森」と呼びます。樹齢200年を越える木々が茂る神秘的な原生樹林です。
秋になると紅葉やイチョウで彩られ、京都では紅葉名所として親しまれています。また、5月の葵祭では、流鏑馬(やぶさめ)などの行事が催されます。
賀茂御祖神社(下鴨神社)
住所:京都市左京区下鴨泉川町59
公式サイト:下鴨神社|賀茂御祖神社 (shimogamo-jinja.or.jp)
第12帖 須磨③
離京
二条院に戻った源氏の君は、東宮へ文を送ります。以前、藤壺の尼宮についていた王命婦が、今は東宮についています。幼い東宮に「お返事はいかがいたしますか」と聞くと、東宮は「少しの間会えなくても寂しいのに、これからはもっと寂しくなります、と言って」と言いました。
王命婦は、源氏の君が藤壺の尼宮との恋に苦しんでいた様子などを思い出します。苦労を知らずに過ごしていけるはずの身分のふたりが、どうして自ら苦しい道へと進んでしまったのか、それもこれも自分が浅はかにもふたりの仲立ちをしてしまったからではないかなどと、後悔の念にさいなまれるのでした。
いつかまた春の都の花を見む時失へる山賤にして
“いつかまた春の都の桜の花を見られるでしょうか 時勢に見捨てられた山賤の身でも”
源氏の君
咲きてとく散るはうけれどゆく春は花の都を立ちかへりみよ
“咲いたかと思えばすぐ散ってしまう桜の花は悲しいけれど、春がまた巡ってくるように、あなたもまた戻ってきて桜の咲く都をご覧ください”
王命婦
「都の桜」=「東宮の御代」とも。「東宮が帝になる世を私は見ることができるのだろうか」「東宮が帝になった時にはどうか戻ってきてください」という思いが込められているのかもしれません
出発の日、夜まで紫の上とゆっくり話をして過ごしました。
源氏の君は「わたしが京の都を去ったら、どんなに哀れな境遇に落ちてしまうのだろうか」と紫の上のことが気がかりでしたが、夜が明けないうちに出発します。
道中、紫の上の面影が浮かび、胸がいっぱいになるのでした。
須磨へ
須磨の浦に着きました。振り返ると、山には霞がかかっていました。「ふるさとは峰の霞で見えないけれど、眺めている空は都と同じ空だろうか」と詠みます。何もかもをつらく感じるのでした。
海から少し奥へ入った、もの寂しい山の中で暮らすことになりました。良清朝臣(よしきよのあそん)が近くにある源氏の君の荘園の役人たちを集めて手入れをさせ、たちまち趣のある庭などが整いました。旅住まいとも思えないほど人の出入りで騒がしいのですが、話し相手にふさわしい人がいないので、源氏の君は「この先どうやって年月を過ごせばいいのか」とふさぎこむのでした。
ようやく色々な事が落ち着き、梅雨の頃に、京にいる人たちへ文を送ります。紫の上や藤壺の尼宮、前の左大臣や東宮の乳母、伊勢の斎宮などです。あの朧月夜へも。そしてそれぞれから文も返ってきます。花散里からも文が届き、六条の御息所からはお見舞いの品なども届きました。
朱雀帝の思い
朧月夜は、世の笑いものになりすっかり落ち込んでいました。父である右大臣が熱心に許しを請うたので、帝も「自分の妻妾でなく、役所の者なのだから」と思い直されます。
七月になって朧月夜は参内しました。帝はまだ朧月夜のことを強く想ってるので、常にそばに置いています。帝が「源氏の君がいないと物足りないと、どれほど多くの人が思っているか。桐壺院のご遺言に反して、私は源氏の君を大切にできていない。罪なことだ」と涙ぐんだ時には、朧月夜は堪えきれない気持ちでいっぱいになります。
「子供がいないので、故院の仰せの通りに東宮を子として迎えようと、今でも思うのだが…」。
帝の意向を無視して治世を執り仕切る者たちがいるので、若くて気の弱い帝は意見を強く言えないことが多いのでした。
形だけの帝。実際に治世を執り仕切っているのは、弘徽殿の大后や右大臣らです。自分の思うようにできない、そんなもどかしさを帝は常に心に抱えているのです。
現光寺*源氏の君がわび住まいした場所
現光寺とは
源氏の君が須磨でわび住まいをしていた場所と想定されているのが、神戸市須磨区にある現光寺(げんこうじ)。別名「源氏寺」とも呼ばれています。正式には藩架山現光寺(ませがきさんげんこうじ)といいます。
本尊は阿弥陀如来。1514年(永正11年)、開基は浄教上人によると伝えられています。
現光寺は1995年の阪神淡路大震災で、江戸時代に建てられた本堂や庫裡、山門、鐘楼などが全壊しました。そして2000年に庫裡が、2002年に本堂と鐘楼が再建されました。
源氏寺碑
寺の門前には大きな石碑があり、「源氏寺」と刻まれています。この石碑は、以前は現在の場所から北西約20m離れたところにありましたが、阪神淡路大震災後の道路整備にあわせて、新しく再建された現光寺の門前に移された、とのことです。(※説明版より)
石碑の裏には『源氏物語』の須磨の巻の一節が記されています。
「おはすべき所は行平の中納言の藻潮たれつつわびける家居近きわたりなりけり 海面はやや入りてあはれにすごげなる山なかなり」
藩架山 現光寺
住所:神戸市須磨区須磨寺町1丁目1-6
第12帖 須磨④
須磨の秋
須磨では物思いをさせる秋風が吹くようになりました。
月がとてもきれいなので、源氏の君は「今宵は十五夜だな」と思い出します。「都では皆、月を眺めているだろう」とずっと月を見つめている源氏の君。藤壺の尼宮とのことをいろいろと思い出し、涙を落とします。「夜も更けました」と声をかけられても、奥へは入りません。
また、朱雀帝となつかしい昔話などをした時の朱雀帝の様子が、桐壺院を彷彿とさせていたのも、恋しく思い出されるのでした。
五節の君と歌の贈答
その頃、大宰の大弐が都へ上ってきました。たくさんいる娘たちを含めた北の方の一行は別に舟で上ります。源氏の君のいる須磨の浦を通る時、娘たちの中にいる五節の君は、このまま通り過ぎるのを名残惜しく思っていました。そこへ琴の音が風に乗って聞こえてきたので、須磨の風情や源氏の君の境遇を思い、心を痛めるのでした。
五節の君は、第11帖「花散里」で名前だけ出て来た女性です。実際に会っていた場面などは描かれていないのですが、源氏の君が時折思い出す女性。女性が五節の舞姫を務めた時に源氏の君に見初められたのではないかとされています。
五節の舞
大嘗祭や新嘗祭に行われる豊明節会で、歌に合わせて4~5人の女性が演じる舞。この女性たち(舞姫)は、公卿、受領や殿上人の娘から選ばれる。
一方、大弐は子の筑前の守を使いに出し、「このまま通り過ぎてしまうのはとても残念です。またそのうち改めて参上いたします」などと源氏の君に申し上げます。筑前の守は、源氏の君が蔵人に取り立てて目をかけた者。源氏の君の境遇を悲しく思うのですが、長居するわけにはいきません。「都を離れてから昔親しかった人たちには会えないのに、わざわざ立ち寄ってくれたのだな」と源氏の君は言います。筑前の守は泣く泣く帰って、源氏の君の様子を皆に伝えました。
そして五節の君は、何とかして源氏の君へ文を出します。「あなたを恋しく思って揺れている私の心をご存じですか」。それを微笑みながら見た源氏の君は、「その思いが本物なら、須磨の浦に寄らずにいられましょうか」と返します。五節の君はここにとどまりたい思いでいっぱいになるのでした。
大宰の大弐と五節の君は、本当は源氏の君のもとを訪れ、ともに時間を過ごしたいと思っていました。でも、謹慎の身である源氏の君に会うと、源氏の君も非難されることになります。源氏の君がこれ以上責められることを避けるために、会わない方がいいと判断したのです。
手紙を届けた筑前の守が早々に立ち去ったのも、同じ理由からでした。
*****
▼訳・瀬戸内寂聴の「源氏物語」は、比較的わかりやすい文章で書かれているので、源氏物語を読破してみたい方におすすめ。全十巻からなる大作です。巻ごとの解説や、系図、語句解釈も付いています。
リンク
*****
二条院の人たちの思い
月日が経つにつれ、帝や藤壺の尼宮、東宮をはじめ、都にいる人々は源氏の君を恋い慕うことが多くなりました。皆、源氏の君がこのような境遇となったことを悲しく思っています。紫の上は、日が経っても気持ちが慰められることはありません。
源氏の君に仕えていた者たちは、今は紫の上に仕えています。初めの頃は皆、紫の上のことを「それほどの方ではあるまい」と思っていましたが、親しみがあって美しく、細かな心遣いも思いやりも深いので、去っていく者はいませんでした。源氏の君のご寵愛はもっともなことだと思うのでした。
明石の入道
明石の入道は大変な偏屈者。人付き合いが嫌いで、近衛の中将の官を自ら捨てて播磨の国守になったものの、突然出家してしまいました。その一人娘は優しくて品があり気立てもよく、高貴な人にも劣りません。代々の播磨の国守が求婚してくるほどでしたが、入道がそれを許さなかったのです。須磨から明石の浦は近かったので、源氏の君のもとにいる良清の朝臣も入道の娘に文を送っていましたが、返事はありませんでした。
良清は、第5帖「若紫」で、美しい景色として明石の浦を挙げ、源氏の君に入道とその娘の話をしていました。
入道は、源氏の君が須磨にいると聞いて「これこそ娘の宿世なので、源氏の君に娘をさしあげよう」と言います。娘の母は「高貴な妻がたくさんいて、帝のご寵愛の方にまで手を出して騒がれている人ですよ。こんな賤しい者に目を留めるはずがないし、わざわざそんな人を最初の婿として迎えなくても」と反対します。
しかし頑固な入道はあきらめません。
当の娘は自分の身分が低いので、「身分の高い人からは相手にされるはずがないだろうし、身分相応の結婚も嫌だ。両親に先立たれたら、尼になろうか、海の底に沈もうか」などと考えています。
入道はそんな娘を手厚く世話をし、年に二度、住吉神社に詣でさせています。神のご利益を秘かに頼みにしているのでした。
年が明け、須磨では去年植えた若木の桜がほのかに咲きはじめました。空の様子もうららかで、源氏の君はいろいろなことを思い出して泣く時が多くなりました。
二月二十日の頃、南殿の桜は今が盛りだろうかと、あの花の宴のことを思い出します。
ちょうどその頃、宰相中将(前の頭中将)が突然須磨を尋ねて来ました。「罪に問われても構わない」と。源氏の君を一目見るなり、懐かしくも嬉しくもあり、悲喜こもごもの涙がこぼれました。
中将と食事をしながら話します。夕霧(源氏の君と葵の上の子)のことを中将が語ると、源氏はとても悲しく思います。その後は、一晩中漢詩を作って、眠らないまま夜を明かしました。
中将はそうは言っても噂を気にして、急いで帰ることにします。会ってしまったがために、かえってもっと悲しくなってしまうのでした。
都からの数々のお土産のお返しに、源氏の君は中将に黒い馬を贈ります。そして中将は形見にと、名笛を贈りました。
須磨寺*源氏の君が思いを馳せた「若木の桜」
真言宗須磨寺派の本山「須磨寺」。正式名は「上野山福祥寺(じょうやさんふくしょうじ)」。「源平ゆかりの古刹」として知られていて、平敦盛遺愛の「青葉の笛」や弁慶の鐘、敦盛首塚、義経腰掛の松など、多数の重宝や史跡があります。また、境内には句碑・歌碑も多くあり、正岡子規や松尾芭蕉、与謝蕪村らの句碑・歌碑があります。
この須磨寺に「若木の桜」があるそうです。須磨に退去したときに源氏の君が植えたとされる桜です。まだ見に行ったことがないのでどのようなものかわからないのですが、調べてみると「若木の桜」跡という表記もあるので、咲くのか咲かないのか…。
須磨寺には他にも見どころがたくさんありそうなので、行った際には追記したいと思います。
須磨寺
住所:兵庫県神戸市須磨区須磨寺町4丁目6-8
公式サイト:大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)
第12帖 須磨⑤
巳の日祓い
三月一日の巳の日、悩み事がある人は禊をするべきだという者がいたので、源氏の君は海も見たくて出かけることにしました。簡単に幕だけを張りめぐらして、陰陽師を呼んでお祓いをさせます。舟に人形(ひとがた)を乗せて流すのを見ていると、人形が自分のことのように思われます。
海面はうららかに一面凪いていて果てしもなく見える中、源氏の君は過去や未来のことを思って歌を詠みました。
八百(やほ)よろづ神もあはれと思ふらむ犯せる罪のそれとなければ
八百万の神々もわたしを哀れんでくださるだろう これといって犯した罪はないのだから
源氏の君
突然の嵐
源氏の君が歌を詠むと、急に風が出て空も暗くなりました。突然の強い雨に、お祓いも途中でやめてあわただしく帰ろうとしますが、急すぎて笠をかぶる暇もありません。なにもかもが吹き飛ばされるほどの暴風雨。波も大きく立ち上がり、雷が鳴り響く中、かろうじて家にたどり着きました。
日が暮れると雷は少し鳴り止みましたが、風は夜も吹きます。
明け方になって、皆はようやく眠りにつきます。源氏の君もうとうととしたところ、夢の中で得体の知れない者が「なぜ宮からお呼びがあるのに参らぬのか」と源氏の君を捜し歩いていました。はっと目が覚めて、「もしかしたら私は海の中の龍王に気に入られ、水底の宮に呼ばれているのか」と思うと気味が悪くなり、もうここにはいられないと思うのでした。
海龍王に呼ばれている、つまり、ここで命を終えよと言われているのではないかと源氏の君は思ったのです。
関守稲荷神社*巳の日祓いをした場所
神戸市須磨区にある関守稲荷神社。「須磨の関」があったとされる場所のひとつに建てられたのが名前の由来です。
源氏が須磨に退居していた時に巳(み)の日祓(ひはらい)をしたところとして、「巳の日稲荷」ともいわれています。
関守稲荷神社
住所:兵庫県神戸市須磨区関守町1丁目3-20
「須磨」をご紹介しました。最後まで読んでいただきありがとうございます。次回は「明石」です。
*****
▼大和和紀さんの漫画『あさきゆめみし』は読みごたえがある超大作。私は源氏物語を読む前に、あさきゆめみしを読破しました。「源氏物語の訳本を読んでみたけれど、文章がわかりにくくて挫折した」という、じっくりと源氏物語を読んでみたいという人にとてもおすすめです。
私は↓この「完全版」ではなく、文庫サイズのもの(全7巻)をBOOK・OFF(ブックオフ:古本)で買って揃えました♪
リンク
*****
<PR>
私は「Kindle Unlimited」を利用し、スマホで『源氏物語』を読んでいます。「Kindle Unlimited」はAmazonが提供する電子書籍定額読み放題サービスです。
- 月額980円 ※無料体験期間30日間
- 本のタイトル数は200万冊以上!
- Kindle読書アプリやウェブブラウザを使って本を読めます
- アマゾンから専用の電子書籍リーダー・Kindle端末も販売
源氏物語をじっくり読みたい方にも、マンガで読破したい方にもおすすめ。気になる方は是非ご覧ください!