【源氏物語】⑧「澪標・蓬生・関屋」あらすじ&ゆかりの地巡り|わかりやすい相関図付き

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2024年の大河ドラマは第63作『光る君へ』。時代は平安、主人公は紫式部。『光る君へ』では、藤原道長との出会いにより人生が大きく変わることとなる紫式部の人生が描かれています。

たまのじ

紫式部を演じるのは吉高由里子さん。藤原道長は柄本佑さんが演じます。

私は『源氏物語』を読み始めました。『源氏物語』は紫式部の唯一の物語作品。せっかくなので、『源氏物語』を読み進めるのと並行して、あらすじや縁のある地などをご紹介していこうと思います。これを機に『源氏物語』に興味を持っていただくことができたなら、とても嬉しいです。

※和歌を含め、本記事は文法にのっとっての正確な現代語訳ではありません。ご了承ください。

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▼巻ごとのあらすじを中心に、名場面や平安の暮らしとしきたりを解説。源氏物語が手軽に楽しくわかる入門書としておすすめの一冊! 

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目次

第14帖 澪標①

朱雀帝の譲位

弘徽殿大后は病が重くなりながらも、源氏の君を失脚させられなかったことを悔しく思っています。朱雀帝は、源氏の君を元の地位に復帰させたことで気持ちが軽くなり、患っていた目もよくなりました。しかし、「もう長くは生きられない。帝位も譲らなければ」と、帝は政務についてもすべてを源氏の君に相談します。

源氏の君に相談することで、朱雀帝は心が満たされるように。世間の人々もふたりがそんな様子であることを、とても喜ばしく思っています。

たまのじ

朱雀帝が信頼を寄せている源氏の君。やっと心の隔てなく相談できるようになって良かったですね。

退位が近づくにつれ、帝は朧月夜のことを心配します。「太政大臣(朧月夜の父)が亡くなり、弘徽殿大后(朧月夜の姉)も容態が悪く、私も長く生きられそうにありません。そうしてすっかり変わった境遇のもとにひとり残されるあなたがかわいそうで仕方ないのです。あなたはずっと、私より源氏の君を大切に思っているけれど、私は他の誰よりもあなたのことを愛おしく思っています。」
朧月夜がとてもかわいらしく泣くので、帝は朧月夜の過去の過ちをすべて忘れて、とても愛おしいと思います。
朧月夜は、「源氏の君は素晴らしい方だけれど、私のことをさほど大切には思ってくださらなかった。でも帝は、時間とともにより一層深く愛情を注いでくださる。どうして若さにまかせてあんな騒ぎを起こして、源氏の君にも迷惑をかけたのだろう」と後悔するのでした。

翌年の二月、東宮の元服の儀式が執り行われました。十一歳という年よりも大人びて清らかに見え、まばゆいまでに光り輝いています。源氏の君にそっくりで、皆は実にめでたいと祝いますが、母である藤壺の尼宮はうしろめたい気持ちでいっぱいでした。

本当は源氏の君との子だということがいつバレるかわからない、そんな不安を藤壺の尼宮はずっと抱えているのです。

同じ月の二十日過ぎ、譲位が急に現実となりました。心穏やかでない弘徽殿大后を、朱雀院は「栄えない身分になっても、これからはゆっくりとお逢いしたいです」と慰めます。
新東宮には承香殿の女御の皇子がお立ちになり、今までとは打って変わって、世の中は華やかなことが多くなりました。源氏の君は大納言から内大臣になり、前の左大臣(頭中将と葵の上の父)が太政大臣に、前の頭中将は権中納言になります。権中納言は、四の君との間の姫君を参内させようととても大事に世話しており、若君も元服し、一族は繁栄していきました。

たまのじ

桐壺院が亡くなり源氏の君が須磨に行ったことによって、前の右大臣と弘徽殿大后の方が栄え、前の左大臣や前の頭中将の方は落ちぶれていきましたが、源氏の君と前の左大臣が戻ったことによって、再び栄えていったのです。

夕霧(源氏の君と葵の上の子)は、誰よりもかわいらしく育っていました。その成長ぶりに、母宮や太政大臣は亡くなった葵の上を思い出して嘆くのでした。しかし、葵の上が亡くなった後も、源氏の君は事あるごとに邸を訪れ、若君の乳母たちや長年仕えている人たちの世話をしていたので、人々は皆幸せに過ごしていました。
二条院で仕える人たちのことも思いやって世話をします。そして、故院の遺産である二条院の東の邸を改築し、花散里のようなかわいそうな人たちを住まわせようと考えているのでした。

明石の君の出産

三月の初めころ、「そろそろ子が産まれるのではないか」と思い、明石の君のもとへ使いを出すと、女の子が産まれたと知らせが入ります。
いつか占いの者が「子は三人。ひとりは帝に、ひとりは后に、そしてもうひとりは人臣の最高位である太政大臣になるでしょう」と言っていたことが、ひとつひとつ現実になっていきます。
「すべては住吉の神のお導きだったのだ。将来、后になる子があんなところにいてはならない。しばらくしたら京に迎えよう」と、東の邸を急いで造ろうとするのでした。
源氏の君は、あのような田舎では良い乳母も見つけにくいだろうと思い、乳母を明石へ向かわせます。信頼できる家来を乳母に付け、姫君へのお祝いの品も多く持たせました。

いつしかも袖うちかけむをとめ子が世をへてなづる岩のおひさき
“いつになったらわたしの袖で姫君を撫でられるのだろう 天女が岩を撫で続けるくらい長く生きる姫君を”

源氏の君

少しわかりにくい歌ですが・・・。

仏教では「一劫」という時間の単位があるそうです。約4キロ四方もある巨大な岩山の上に100年に一度(3年に一度という説も)天女が降り立ち、その羽衣で岩山を一回なでます。岩山がすべて砂になるまで、何年も何年も繰り返して岩をなでます。その砂になるまでの長い長い時間が「一劫」だと言われているそうです。

この歌はそのお話をもとに詠まれたのでしょう。

乳母たち一行が明石に着きました。待ち受けていた入道はとても喜んで迎え入れます。源氏の君のありがたい御心を思い、京の方を向いて拝みます。
乳母は「こんな田舎に来てしまった」と初めは嘆いていたのですが、あまりにも姫君がかわいらしいので、そんな気持ちも消え失せて大切にお世話します。
物思いに沈んでいた明石の君も、源氏の君の配慮に慰められ、歌を返すのでした。

ひとりしてなづるは袖のほどなきに覆(おほ)るばかりのかげをしぞまつ
“ひとりで姫君を撫で育てるには私の袖は狭すぎます あなたのその広い御袖でこの子を撫でてやってください”

明石の君

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▼姫君はネコ、殿方はイヌのイラストで、物語の全体像を分かりやすく解説!当時の皇族・貴族の暮らし、風習、文化、信仰などについても詳しく紹介されています。

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紫の上の嫉妬

明石の姫君のことについて、源氏の君は紫の上に自分から話しました。
「うまくいかないものですね。子が欲しいと思うところにはできなくて、思わぬところにはできてしまう。放っておくこともできませんので、そのうち都に呼んであなたに会わせましょう。嫉妬しないでくださいね」と源氏の君が言うと、紫の上は顔を赤らめて「嫉妬を私に覚えさせたのはあなたなのに」と言います。源氏の君は笑って聞いていました。
恋しいと思っていたお互いの気持ちや交わした文などを思い出してふたりで話します。「自分以外の人とのことは、きっと一時の戯れだったのだ」と紫の上は思おうとするのですが、一方で「自分は悲しく嘆いていたのに、お遊びでも思いを寄せた方がおられたとは」と、たまらない気持ちにもなるのでした。

五月雨の頃、源氏の君は思い立って花散里を訪ねます。しばらく訪ねはしなくても、源氏の君が何かにつけてお世話しているので、花散里はすねたり嫉んだりすることはありませんでした。しかしこの数年の間に邸は荒れてしまっていました。
源氏の君は、花散里が長い間ずっと源氏の君だけを待ち続けていたことを心に刻みます。花散里が「あなたが須磨に行かれた時、なぜこれ以上の悲しみなんてないなどと沈んでいたのでしょう。帰京されても同じように全然会えないのに」と言うのも、おおらかで可愛げがあります。源氏の君は優しい言葉で慰めるのでした。

たまのじ

花散里はおっとりとした女性。源氏の君は花散里といると心が落ち着くのです。

しかしこんな時にでも、源氏の君はあの五節の君のことを思い出します。もう一度会いたいと思いつつ、なかなか会うことは叶いません。五節の君もまだ源氏の君のことを想っており、縁談なども断って結婚も諦めています。
源氏の君は、二条の東の院にこのような女性たちを住まわせようと、改築を急がせるのでした。

五節の君は、五節の舞姫を務めた時に源氏の君に見初められた女性。須磨では、家族で近くを舟で通りながらも源氏の君に逢うことは出来ず、歌だけをやりとりしていましたね。

源氏の君は、朧月夜をあきらめてはいませんでした。よりを戻そうと文を送りますが、朧月夜は懲りて、昔のようには返事を出しません。源氏の君は、窮屈な関係になってしまったと嘆くのでした。

譲位した朱雀院は、四季折々の遊びを催して楽しく暮らしています。東宮の御母である承香殿の女御は院を離れて東宮に付き添っています。
藤壺の尼宮は、太上天皇に。勤行や功徳を積む仏事が日課です。ここ数年は宮中へ出入りできず帝にも会えませんでしたが、今は思うままに出入りできるようになりました。弘徽殿大后は「世の移り変わりは情けないものだ」と嘆いています。そんな大后に、源氏の君は丁寧にお仕えして気を配るのでした。

兵部卿の宮(紫の上の父)は、源氏の君が須磨へ行く時に、世間の評判を気にして冷たい態度を取っていました。そのため源氏の君は兵部卿の宮のことをよく思っておらず、親しく付き合おうともしません。
天下の政は二分して太政大臣と源氏の君の思うまま。権中納言(前の頭中将)の娘が入内する際には、祖父である太政大臣が立派な儀式を執り行いました。しかし兵部卿の宮が娘を入内させようとしているにもかかわらず、源氏の君が便宜を図ることはありませんでした。

明石の君とのすれ違い

その年の秋、源氏の君は住吉神社にお詣りに行きました。願いがたくさん叶ったので、それはそれは盛大な行列でお礼詣りをします。
ちょうどその折、明石の君も住吉へお詣りに来ました。以前から毎年二回お詣りしていたのですが、去年と今年は出産と重なって来れなかったので、お詫びも兼ねたお詣りです。舟で岸に近づくと、大勢の人が浜辺にあふれ、立派な宝物を捧げた人たちもたくさんいます。明石の君はそれが源氏の君の一行だと知り、あまりにも盛大な参詣に身分の違いを改めて感じて圧倒され、その日はお詣りを取りやめることにしました。
そのことを惟光(これみつ:お付きの者)から聞いた源氏の君は、明石の君を不憫に思い、文を送るのでした。

みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひけるえには深しな
“身を尽くして恋い慕っているから、澪標(みおつくし)のあるこの難波でも会えたのです。わたしたちの縁は深いですね”

源氏の君

数ならで難波のこともかひなきになどみをつくし思ひそめけむ
“身分も低く、何事もあきらめて生きているこの私が、なぜ身を尽くしてまであなたをお慕いしてしまったのでしょうか”

明石の君
たまのじ

ふたりが詠み交わしたこれらの歌から、この帖の名は「澪標」となりました。

澪標(みおつくし)」とは航路を示す標のことです。

河口に開かれた港には、土砂が堆積して水深が浅くなっている場所があるので、座礁を避けるために、比較的水深が深く航行できる溝状の窪地(澪 [みお])との境に標が立てられました。それを澪標と言います。

大阪の繁栄は水運に因るところが多く、港にもゆかりの深い澪標は、明治27年4月、大阪市の市章となりました。

和歌では「澪標」は「身を尽くし」と掛けられ、恋の歌によく使われるそうですよ。

月耕『源氏五十四帖 廿二 玉葛』 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

源氏の君が通り過ぎた翌日、明石の君は参詣しました。その後明石に帰るとまた物思いが募り、源氏の君との身分の違いを悲しく思います。
それからすぐ源氏の君からの使いが来ました。近いうちに京へお迎えするとのことです。
明石の君は、源氏の君の言葉に頼って京に行ったところで、結局心細い思いをするのではないだろうかと不安な気持ちになります。明石の入道も、娘とその子を京にやるのは心配だが、かといって田舎に埋もれさせるのも心配だと思っています。明石の君はいろいろと不安に思い、源氏の君に京へ行くかどうか迷っていると返事をするのでした。

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▼訳・瀬戸内寂聴の「源氏物語」は、比較的わかりやすい文章で書かれているので、源氏物語を読破してみたい方におすすめ。全十巻からなる大作です。巻ごとの解説や、系図、語句解釈も付いています。

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住吉大社

住吉大社とは

住吉大社は大阪府大阪市住吉区にある神社。全国に2000社以上ある住吉神社の総本社です。

祭神は、海の神・筒男三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)と神功皇后。これらの住吉大神は海中から出現されたため、古くから海の神として信仰されてきました。

その他、祓の神、和歌の神、農耕・産業の神としても知られています。

反橋(太鼓橋)

鳥居をくぐると「すみよっさんの太鼓橋」と親しまれている朱塗りの「反橋」があり、「この太鼓橋を渡るだけで厄払いになる」と言われています。渡るというより、のぼっておりるという表現が近いくらいにとても急な階段状になっています。

五所御前(五大力石)

第一本宮の南側にある「五所御前」。ここは約1800年前の住吉大神鎮座の際に最初にお祀りされた場所とされる神聖な場所で、体力・智力・財力・福力・寿力を授かると言われており、ここにある「五」「大」「力」と書かれた石を探して拾ってお守りにすると願いが叶うと言われています。

源氏物語関屋澪標図屏風

住吉大社参道に「源氏物語関屋澪標図屏風」のうち「澪標図」があります。俵屋宗達画の国宝に指定されている作品。左側には太鼓橋や鳥居が描かれています。右上に見えるのは明石の君の舟でしょうか。真ん中に大勢いるのが、源氏の君の一行です。

住吉大社
住所:大阪府大阪市住吉区住吉2丁目9−89
公式サイト:住吉大社 (sumiyoshitaisha.net)

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