こんにちは。たまのじです。
今回は、京都・銀閣寺(東山慈照寺)をご紹介します。
是非、ご覧ください。
2023年3月時点での情報で執筆しています。訪問の際には、各施設・店舗の最新の情報をご確認ください。
銀閣寺とは*正式には「東山慈照寺」
銀閣寺は京都市左京区銀閣寺町にある臨済宗相国寺派のお寺。正式名称は東山慈照寺です。
室町幕府八代将軍・足利義政は、祖父・義満の金閣寺にならって東山山荘(東山殿)の造営を始めました。しかし、完成を待たずに義政は亡くなり、のちに東山殿は禅寺に。義政の法号である「慈照院」にちなみ、「東山慈照寺」となりました。
「古都京都の文化財」のひとつとしてユネスコの世界遺産に登録されています。
義満が建てた鹿苑寺(金閣寺)の舎利殿「金閣」に対し、東山殿内に建てられた観音殿は「銀閣」と呼ばれるようになり、慈照寺は銀閣寺と呼ばれることになりました。
観音殿(銀閣)と東求堂はともに国宝で、当時のものが現存しています。
銀閣寺の見どころ紹介
それでは実際に私が回った順番を基にご紹介して行きます。
所要時間は、御朱印授与を含めて約40分でした
【銀閣寺垣】
まず総門をくぐります。写真ではわかりにくいのですが、入るとすぐ右に曲がるように参道が続いています。
総門から中門まで続く長さ約50メートルの参道。総門より外が俗世、中門の向こうは極楽浄土としたのではないかという説があるそうです。この参道の両端がくいっと曲がっていて、総門から中は見えず、中門から外が見えないようになっているのも、その世界観からでしょうか。
このふたつの世界をつなぐ参道を囲んでいる竹垣は「銀閣寺垣」と呼ばれています。椿が咲く頃にはこの垣にも椿が咲き、その時だけの美しさを楽しめるようですよ。
椿の見頃は例年3月中旬頃から4月上旬頃だそう。私は3月21日に行ったのですが、椿は咲いていませんでした 泣
【受付・中門】
銀閣寺垣の終わりに受付があるので、こちらで「お札志納金」を納めます。
受付の奥にあるのが中門。門をくぐって先に進みます。
【朱印所】
中門をくぐるとすぐ右手に朱印所があります。慈照寺では拝観前に御朱印帳を預けるスタイルのようです。私はこちらで御朱印帳も購入し、御朱印をいただくことにしました。番号札をもらって、先に拝観に回ります。
【庫裡(くり)】
中門を入って左手には「庫裡(くり)」。庫裡??調べると、「寺院の中の主に台所の役割を担う建物」や「住職とその家族が住むところ」らしいです。木も白砂も手入れされて、とても整った印象を受けます。
そのまま進むとすぐにこのような門があります。これをくぐり抜けると・・・。
【観音殿 銀閣】
ででんと観音殿(銀閣)が。とても早いお出ましです。いろいろ見てから「いよいよ」という感じで登場するのかと思いきや、もったいぶらせもせずにいきなり出て来たので、「え?もう?」とびっくりしました。
慈照寺の象徴となるのがこの国宝・観音殿(銀閣)。唯一現存する室町期の楼閣建築の代表的建造物として有名です。
観音殿は、義政が西芳寺の瑠璃殿を真似て建てた、と言われています。常時非公開です。下層は「心空殿(しんくうでん)」と呼ばれ、住宅風の造りをしています。上層は「潮音閣(ちょうおんかく)」。禅宗様の仏堂風に造られており、観世音菩薩木像が安置されています。このため「観音殿」と呼ばれます。特徴的な窓は「花頭窓(かとうまど)」といいます。
屋根の上には銅製の鳳凰が。この鳳凰は観音殿に祀られている観音菩薩を守っているそうです。
縁側の前に広がる錦鏡池に「北斗石」という名石がありました。
ちなみに「名石」というのは、「由緒ある石」という意味です。この石にはどのようないわれがあるのでしょうか…?調べたのですが、見つけることができませんでした。
縁側は東向き 西の京都市街地に背を向けている?
観音殿について調べていると、「縁側が東を向いている」ということに言及している記事が多く見られました。
約11年も続いた「応仁の乱」。その原因のひとつとなったのが義政の後継ぎ問題です。義政に子ができなかったので、弟の義視(よしみ)を養子として将軍職を譲ろうとしましたが、息子の義尚(よしひさ)が生まれ、将軍職を巡る争いが始まってしまったのです。
京の都が焼けてしまった上に政治も上手くいかない義政は、焼亡した浄土寺跡に東山山荘を建てました。都に背を向けた銀閣の姿は、義政の「京を忘れて穏やかに暮らしたい」という気持ちの表れでは、と考えられているそうです。
【八幡社】
観音殿に向かって右手には、八幡社があります。慈照寺の鎮守社です。
鎮守社とは
特定の地域や建造物を守護するために祀られた神を「鎮守神」といい、その鎮守神を祀る社を「鎮守社」といいます
鎮守神は八幡神。看板には「学問、交通安全、災難避け、土地の守り神」とありました。八幡神は清和源氏嫡流にとっては守護神。清和源氏の一家系河内源氏の嫡流である足利将軍家にとっても守護神なのです。
【向月台と銀沙灘】
門をくぐった時に観音殿よりも一瞬早く目に入る、この砂盛り。これは「向月台(こうげつだい)」と呼ばれています。月待山に上る月をその上で眺めるために造られたという説と、月の光を反射させて本堂を照らすために造られたという説があるそう。高さは約180㎝で、この形になったのは江戸時代後期らしいです。
ちなみに、向月台のことを調べようとネットで検索したら、検索予測に「銀閣寺 プリン」と出てきました。確かに(笑)。もうプリンにしか見えなくなってしまいました。
話がそれましたが・・・向月台の隣に広がるのが「銀沙灘(ぎんしゃだん)」です。
銀沙灘は白砂を盛り上げて造ることで、月の光を反射させる役目を持つと言われていて、高さは66㎝あります。こちらも江戸時代に考案されたのではないかということです。
宝処関(ほうしょかん)にある花頭窓から見た銀沙灘です。
写真がうまく撮れませんでしたが、花頭窓を通して見る銀沙灘も絵画のようでとても美しいです。
【方丈(本堂)】
方丈(本堂)は江戸中期に建造。ご本尊として釈迦牟尼仏が安置され、内部には江戸時代の俳人・画家の与謝蕪村や画家の池大雅の襖絵が所蔵されてます。平成4年に京都市指定文化財となっています。
見どころが多いものの、通常非公開。春秋のみ一般に特別公開されます。
その方丈と隣の東求堂との間に、銀閣寺形手水鉢が。うっかり見逃しそうになりました。
市松模様が彫られていますが、隣の面はまた違ったデザイン。なんだかおしゃれな感じですね。
渡り廊下を通る時に手を清めるのに使うものだと思うのですが、そうなると見えている手水鉢の面は側面と裏側ということになります。恐らく渡り廊下の方に正面が向いているのではないかと。正面はどんな模様なのでしょうか。特別拝観だと見ることができるのかな?
【東求堂】
観音殿(銀閣)とともに、東山殿造営当時の遺構として現存するのが国宝・東求堂(とうぐどう)です。東求堂は阿弥陀如来を祀る持仏堂として建立されました。
4つの部屋のうち、北東に位置する「同仁斎(どうじんさい)」は、義政が愛した書院。元々は書斎として使われていましたが、後に茶室として使われるようになります。草庵茶室の起源でもあり、ここから「わび」「さび」の世界観が生まれました。
東求堂は現在、方丈の東に位置していますが、創建当時は観音殿の近くにあり、後にそのままの形で今の場所へ移されたのではないかと考えられています。
通常は非公開ですが、春と秋に特別公開が実施されます。
東求堂から振り返ると、観音殿・向月台・銀沙灘を合わせて見ることができます。
【錦鏡池(きんきょうち)】
北・東・南の三方を山に囲まれた慈照寺の庭園。この庭園は、錦鏡池を中心にした池泉回遊式庭園になっています。これより上方の漱蘇亭(そうせんてい)跡にあった枯山水庭園と上下二段の庭園だったようです。そしてこの庭園は西芳寺を手本にしたと言われています。
下の写真は「大内石」。東山山荘造営に際し、守護大名・大内政弘が義政に贈ったものとされています。
【洗月泉】
さらに進むと、小さな滝がありました。「洗月泉(せんげつせん)」です。泉に映った月がさざ波で揺れる様子が、まるで月が洗われているかのようなので、そう名付けられたとか。月が出る時間には慈照寺に入れないので、見ることができないのが何とも残念です。
そこに硬貨がたくさん投げ入れられていました。
投げ入れた硬貨が黒い石に乗ると何かいいことでもあるのかな、と思わせるような光景。個人的には、あとで拾うのが大変だろうなとか、泉が汚れないのかなとか、そもそも投げ入れていいのかなとか違うことを考えてしまいます…。
【弁財天】
「洗月泉」から「お茶の井」に向かう途中で弁財天が祀られている社があるようです。地図を見ずに回っていたので、見落としました。残念です。
【お茶の井・漱蘇亭跡】
少し上へ行くと、「お茶の井」があります。看板にあるとおり、この湧水は足利義政がお茶を入れるのに使ったと言われています。
その隣に見えるのは「漱蘇亭跡」。石組が残っています。
この庭園は昭和六年に発掘されました。西芳寺(苔寺)の竜淵水石組を手本に造られたとされている、枯山水庭園だそうです。
【展望所】
お茶の井から進んで少し急な石段をのぼります。道はきれいに整備されています。そしてその先には「展望所」が。
銀閣や庭園など慈照寺全体を見渡せます。京都市街地の中の吉田山もよく見えますね。京都御苑は吉田山の向こう側にあります。こんな緑の季節も美しいですが、紅葉の季節もきれいでしょうね。雪の景色も見てみたいです。
ここからは銀閣に向かって降りて行きます。緑の苔がとてもきれいです。
再び【観音殿 銀閣】
銀閣に戻ってきました。先ほどとは池を挟んで反対側の方です。
裏に回るとこんなふうになっています。
「銀閣の屋根」のサンプルがありました。
杮葺(こけらぶき)と言い、サワラの薄い割り板を3センチずつずらしながら重ね、竹釘でとめていく工法にて葺かれています
「銀閣の屋根」説明板より
この先にある売店の横辺りに、銀閣創建時の2階の彩色を復元したものが展示されていました。
この彩色の復元については、紋様は銀閣の部材にわずかに残る痕跡からおおよその形を、配色は年代的な特徴を捉えながら、金閣の室内に残存していた建築彩色を参考にしたと説明書きがありました。
【圓通殿(売店)・東司(手洗所)】
慈照寺の中を1周して来ると、中門の手前に圓通殿(売店)があります。その隣には東司(手洗所)。
【御朱印】
売店・手洗所から順路に沿って出口に向かうと、朱印所の前に出てきます。ここで最初にもらっていた番号札を見せて御朱印帳を受け取ります。最後に朱印所を通るので、忘れずに受け取れるのが安心ですね。
私は御朱印帳も購入しました。観音殿・向月台・銀沙灘が描かれています。素敵だなと思い、つい買ってしまいました。色は他に紺色と深緑がありました。
このような御朱印をいただきました。
【銀閣寺参道】
銀閣寺橋から慈照寺の総門まで伸びる「銀閣寺参道」。その参道には多くのお店が立ち並びます。今回は私が食べたおにぎりとコロッケをご紹介します。
「銀コロッケ」のコロッケ
コロッケのオブジェが目を引くコロッケ屋さん「銀コロッケ」。「生パン粉」や「手ごね」に惹かれて入店しました。
↓店内はこんな感じで、座って食べることができます。
そしてコロッケはこちら。
揚げたてで熱々!フーフーしながら食べます。衣はほんとにさくさくで、味も◎。お出かけ先で見かけるとなぜか食べたくなるコロッケ。ここのコロッケは当たりでした♪
「御米司ふみや」のおにぎりと銀閣もち
次に行ったのは「御米司ふみや」。店頭に飾られていたディスプレイとお餅を焼く匂いにつられて入りました。
注文したのは2つ。まずは手前の「銀閣セット」。
おにぎり2つとちょっとしたおかず、そして白味噌のお汁がついてきました。選んだおにぎりは「焼きおにぎり」と「大葉みそ」。優しい味がとてもおいしかったです。
そしてもう1つは「銀閣もち」。
甘じょっぱい味噌だれがちょうどいい濃さで、お餅ももちもち。炙ったたれの香ばしさもまたおいしかったです。
皆さんの旅が最高の旅になりますように
今回は、京都・東山慈照寺(銀閣寺)をご紹介しました。
皆さんの旅が最高の旅になりますように。
いい旅を。たまのじでした。
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銀閣寺 周辺マップ
交通機関
●市バス
京都市バス「銀閣寺道」または「銀閣寺前」下車
●電車
京阪電車「出町柳」駅から歩いて約35分
京都市営地下鉄「蹴上(けあげ)」駅から歩いて約35分
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