プロモーションを含みます
2024年の大河ドラマは第63作『光る君へ』。時代は平安、主人公は紫式部。『光る君へ』では、藤原道長との出会いにより人生が大きく変わることとなる紫式部の人生が描かれています。
紫式部を演じるのは吉高由里子さん。藤原道長は柄本佑さんが演じます。
私は『源氏物語』を読み始めました。『源氏物語』は紫式部の唯一の物語作品。せっかくなので、『源氏物語』を読み進めるのと並行して、あらすじや縁のある地などをご紹介していこうと思います。これを機に『源氏物語』に興味を持っていただくことができたなら、とても嬉しいです。
※和歌を含め、本記事は文法にのっとっての正確な現代語訳ではありません。ご了承ください。
←本のマークの部分だけを読むと、さらに時間を短縮して読むことができます。
*****
▼巻ごとのあらすじを中心に、名場面や平安の暮らしとしきたりを解説。源氏物語が手軽に楽しくわかる入門書としておすすめの一冊!
リンク
*****
目次
第17帖 絵合
前斎宮の入内
藤壺の尼宮は、前斎宮(六条の御息所の姫君)の入内を源氏の君に催促します。このことを知った朱雀院は残念に思いますが、入内当日には見事な衣装の数々や化粧箱などを心をこめて用意しました。
それを見て、源氏の君は「伊勢下向のときに院が斎宮に抱いた恋心が、斎宮が帰ってきてやっと成就するはずだったのに、弟帝に入内してしまうなんてどう思っていらっしゃるだろう。私はどうしてこんなことを思いついて、院の心を苦しめ悩ますのだろうか。」と思い悩みます。そして前斎宮が、年も恰好もお似合いの朱雀院ではなく、九つも年下の冷泉帝の妃となることを快く思っていないのではないかと源氏の君は不安になるのでした。
心の優しい朱雀院。そんな兄をつらい目に合わせてしまったことを、源氏の君は辛く思っているのです。
別れ路に添へし小櫛をかことにて遥けき仲と神やいさめし
“あなたが伊勢へ行く時に「ふたたび帰らぬように」と私が小櫛を挿したから 神はあなたと私を引き離すのでしょうか”
朱雀院
別るとて遥かに言ひし一言もかへりてものは今ぞ悲しき
“「帰るな」と遠い昔におっしゃった一言が 帰京した今となってはとても悲しく思えます”
伊勢の斎宮
斎宮が伊勢に下向するに先立って臨む出立の儀式で、帝が斎宮の髪に黄楊の櫛(別れの御櫛)を挿す場面がありましたね。(第10帖「賢木」)その儀式で帝は斎宮に「京(みやこ)の方(かた)に赴きたまふな」と言う決まりがあります。世俗と神の領域の別離を象徴する儀礼なのです。
前斎宮は夜が更けてから参内されました。とても奥ゆかしく小柄でか弱そうな様子に、冷泉帝はとてもきれいな方だと思います。帝は権中納言(前の頭中将)の姫君・弘徽殿の女御とは親しい間柄なので気がねなく接していますが、前斎宮はとても落ち着いた方なので気後れするようです。源氏の君にも丁重に扱われている前斎宮を軽々しく扱うことは出来ないと思っています。
権中納言は、娘である弘徽殿の女御をゆくゆくは中宮にしたいと思っているので、前斎宮が娘と同じように仕えることにやきもきするのでした。
絵の収集合戦
冷泉帝は絵に興味があり、誰よりも上手に絵をお描きになります。斎宮の女御もとても上手にお描きになるので、斎宮の部屋に行っては絵を描き合っています。斎宮が絵をお描きになる様子がとてもかわいらしいので、斎宮へのご寵愛がどんどん深まっていきました。
それを聞いた権中納言は、負けん気な性格なので、絵の上手な者たちを集めてすばらしい絵を上等な紙に描かせます。趣向を凝らした絵なので、帝は絵を見ようと弘徽殿にも通われるようになります。帝が斎宮にも絵を見せようと持って行こうとするのですが、権中納言は差し上げようともしません。
権中納言は、源氏の君に負けるものかと張り合う性格でしたね。こんなところにも負けん気の強いところが出ています。
源氏の君は「権中納言の大人気のない性格は相変わらずだな」と笑い、二条院にある古い絵や新しい絵が入った厨子をぜんぶ開けて、紫の上と一緒に選びます。ちょうどいい機会だと、須磨と明石にいた頃の日記の箱を持って来させて、紫の上にも見せます。当時の事情を知らずに見た人でも心を打たれるような絵なので、二人にとってはより悲しく映ります。源氏の君は、これらの絵を藤壺の尼宮にも見せたいと思い、そして明石の君はどうしているだろうかと思いやるのでした。
一人ゐて嘆きしよりは海人の住むかたをかくてぞ見るべかりける
“ひとり京に残って悲しんでいるより 一緒に行って海女の住む海辺をこうして見ていたかったです”
紫の上
憂きめ見しその折よりも今日はまた過ぎにしかたにかへる涙か
“つらかったあの頃よりも この絵を見てあの頃を思い出した今日の方が いっそう涙があふれます”
源氏の君
源氏の君も絵を集めていると聞いて、権中納言はもっと熱心に絵を集めます。
それが三月頃で、空もうららかに人の心も穏やかであらゆるものに風情のある季節だったことに加え、宮中でも特に行事がなかったので、妃たちは絵を楽しんで過ごしています。源氏の君は、帝にもより多くの絵を楽しんでいただきたいと思い、もっと気合を入れて絵を集め始めました。
梅壷の斎宮の女御は、昔の物語で名高く趣のあるものを、弘徽殿の女御は、当時の新作で興味深いものを選んで描かせていたので、見た目の華やかさでは弘徽殿の女御の絵の方が勝っていました。
帝の女房たちもそれぞれの絵を評定し合っていました。
*****
▼姫君はネコ、殿方はイヌのイラストで、物語の全体像を分かりやすく解説!当時の皇族・貴族の暮らし、風習、文化、信仰などについても詳しく紹介されています。
リンク
*****
絵合わせ開催
その頃参内していた藤壺の尼宮は、あれこれと女房たちが絵を評価し合っているのを聞いて、左・梅壺の女御(斎宮)側と、右・弘徽殿の女御側にグループ分けをしました。評価し合う人たちは物知りな人たちだったので、そのひとりひとりの言い分が面白く、藤壺の尼宮は興味深く聞いています。
源氏の君はこのようにそれぞれが争い騒ぐ様子を面白く思い、「いっそ帝の御前でこの勝負を決着させましょう」と提案しました。
源氏の君は梅壺の女御(斎宮)側に、権中納言は弘徽殿の女御側に協力します。そして評判を聞いた朱雀院は梅壺の女御に絵を贈るのでした。
いよいよ絵合わせの日が来ました。帝のお召しがあって、源氏の君と権中納言も参内します。
絵合わせが始まります。梅壺の女御からも弘徽殿の女御からもとてもすばらしい絵が出され、なかなか勝負がつきません。
判定がつかないまま夜になりました。最後の勝負になったとき、梅壺の女御から源氏の君が描いた「須磨」の巻が出されたので、権中納言は動揺します。弘徽殿の女御も最後の勝負のためにとっておきの絵を用意していたのですが、源氏の君のようなすばらしい名手が心の限りを尽くして静かに描いた絵に勝てるはずもありません。
皆、涙が止まりません。その絵を見ると、須磨での源氏の君のわびしい暮らしや悲しい気持ちなどが手に取るようにわかるので、今まで出された様々な絵に対する感動はすべてこの絵に奪われてしまいました。そして梅壺の女御が勝ったのでした。
こうした些細なことにつけても、源氏の君が梅壺の女御の肩を持つので、権中納言は「帝のご寵愛が梅壺の女御へ向くのでは」と心配しますが、もっと細やかなご寵愛が弘徽殿の女御に向けられているので大丈夫だろうと思い直します。
源氏の君は、この世は無常だとずっと思っていたので、帝がもう少し成長されるのを見届けてから出家しようと決めていました。山里の静かな土地を手に入れて御堂を造り、仏像や経典の準備もしているようですが、まだ幼い子たちを思うように育て上げたいとも思っており、すぐにこの世を捨てることはなさそうです。
*****
▼訳・瀬戸内寂聴の「源氏物語」は、比較的わかりやすい文章で書かれているので、源氏物語を読破してみたい方におすすめ。全十巻からなる大作です。巻ごとの解説や、系図、語句解釈も付いています。
リンク
*****
清凉寺(嵯峨釈迦堂)
清凉寺とは
清凉寺は京都市右京区にあるお寺。「嵯峨釈迦堂」として親しまれています。本尊は釈迦如来。
もともとは光源氏のモデルになったと言われる源融(みなもとのとおる)の山荘である棲霞観があった場所です。源融の死後に阿弥陀三尊像が造られ、それを安置した阿弥陀堂を棲霞寺と呼びました。
その後、新堂が建てられ、等身大の釈迦像が安置されます。さらにその後、東大寺の僧である奝然(ちょうねん)が宋の仏師に釈迦如来立像を模刻させ、その像を弟子の盛算が棲霞寺の釈迦堂に安置したのが清凉寺の始まりとされています。
源氏物語の『絵合』『松風』などの帖で、光源氏が嵯峨の地に御堂を建立しますが、その「嵯峨の御堂」のモデルになった場所が、清凉寺です。
仁王門(京都府指定文化財)
京都府指定文化財となっている仁王門。両脇には朱色の阿吽二体の仁王像が構えています。
嵐山渡月橋からまっすぐ北へ20分ほど歩くとこの仁王門に着きます。嵯峨野のちょうど真ん中に位置し、「嵯峨野の顔」とも称されます。
渡月橋からここまで来る途中には、お店がいっぱいありますよ♪
本堂(釈迦堂)(京都府指定文化財)
釈迦堂は、清凉寺本尊である三国伝来生身釈迦如来像(国宝)を安置する本堂。正面上方の横木には、日本黄檗宗の祖である隠元禅師筆の「栴檀瑞像」の額が掲げられています。
阿弥陀堂
本堂の東には阿弥陀堂があります。嵯峨天皇の皇子である左大臣・源融の山荘・棲霞観の名残の堂です。現在の建物は文久三年(1863)に再建されました。
霊宝館
阿弥陀堂を奥に進むと、霊宝館があります。ここに収蔵されている国宝・阿弥陀三尊坐像(旧棲霞寺本尊)は、清凉寺最古の像です。この像は源融が亡くなる直前に自分の顔に似せてつくらせたと言われており、「光源氏写し顔」とも言われています。
※霊宝館は4・5月、10・11月のみ特別公開されています
源融の墓
仁王門を入って左手にある多宝塔の奥に、源融(みなもとのとおる)の墓があります。宝篋印塔です。
光源氏のモデルのひとりと言われている源融。嵯峨天皇の第12皇子で、河原院、河原大臣とも呼ばれています。京都六条に「河原院」という邸宅を持っていましたが、その邸宅は光源氏がのちに邸宅とする「六条院」のモデルのひとつだと言われています。
源融は、小倉百人一首では河原左大臣の名で知られています。
陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰(たれ)ゆゑに乱れそめにしわれならなくに
“陸奥の織物「しのぶもじずり」の模様のように心が乱れているのはあなたのせいなのですよ”
「小倉百人一首」河原左大臣
清涼寺
住所:京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
公式サイト:HOME | 清凉寺(嵯峨釈迦堂) (seiryoji.or.jp)
第18帖 松風
明石の君、大堰へ
源氏の君は二条の東の院を建て、西の対に花散里を住まわせました。東の対には明石の君を迎えようと考えています。
明石の君には上京するように何度も伝えていますが、明石の君は「身分の高い人でも源氏の君のつれなさに悲しい思いをすると聞いているのに、私のような卑しい身分の者がその中に入るなんてできない。たまに源氏の君が立ち寄るのを待つだけの身にはなりたくない」と思います。しかし姫君がこんな田舎で生まれ育って人並みの扱いも受けられないのもかわいそうなので、なかなか決められないでいます。
自分としては京には行きたくないけれど、娘のためを思うなら京にいくべき。明石の君の心はまだ揺れ動いているのです。
昔、明石の君の母方の祖父が嵯峨の大堰川(おおいがわ)の辺りに土地を持っていました。その後は相続する人もなくどんどん荒れていったのを入道は思い出して、昔からの管理人に「人が住めるように修繕してくれないか」と頼みます。管理人が「源氏の君が近くに御堂をお造りになっているので、静けさをお望みなら意に沿わないのでは」と言うので、入道は「源氏の君の力におすがりしようと思っているので問題ない。」と伝えました。しばらくして住まいの修繕が終わったので、入道は源氏の君に報告します。源氏の君は「上京を遅らせていたのはこういうことか。なかなか行き届いた心構えだ」と思い、惟光朝臣にいろいろと世話をさせます。
「明石の海辺を思わせるような所です」と惟光が報告すると「あの方にふさわしいな」と源氏の君は思うのでした。
いきなり京へ入るのはやはり気が引けた明石の君。それでも姫君は京へやりたいという思いがあったのを、明石の入道が気を利かして、京から少し離れた場所へ明石の君を住まわせることにしたのです。
紫式部は、源氏の君が建てようとしている嵯峨の御堂を現在の清凉寺の辺りに、明石の君が住むことになった大堰の邸を現在の渡月橋・天龍寺の辺りに想定したのではないかと言われています。これなら、源氏の君は御堂の様子を見に行くという口実で明石の君に会いに行けますね。
源氏の君は、腹心の家来たちを明石にこっそりと迎えにやりました。明石の君は住みなれた浦を離れるのが名残惜しく、明石の君の母君も「ここが終の住家だ」と共に暮らしてきた入道と突然別れて暮らすことを心細く思います。
出発の日の暁は、秋風が涼しく吹き、虫の音も絶えず響き渡っています。誰もが涙をこらえきれません。姫君が本当に可愛らしいのを見て、入道は「この身が尽きるまで、姫君のことをお祈りしています」と泣くのでした。
舟で出発した明石の君は、予定どおりに京に着きました。大堰の家の造りは趣きがあって何年も住んでいた明石の家に似ています。しかし明石の君は物思いが絶えず、捨ててきた家も恋しくなり、源氏の君にもらったあの形見の琴をかきならします。少し弾くと、松風が琴の音に合わせるように鳴り響きました。
身を変へて一人帰れる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く
“尼になってひとりで帰って来たこの山里に 明石の浦で聞いたような松風が吹いていることよ”
尼君(明石の君の母君)
故里に見し世の友を恋ひわびてさへづることを誰れか分くらむ
“明石の浦で親しくしていた人たちが恋しくて奏でる琴の音を誰が聞き分けてくれるでしょうか”
明石の君
明石の君との再会
源氏の君は、明石の君が上京したことを紫の上に話します。他から聞きでもしたら厄介だと思ったからです。不満そうな紫の上のご機嫌をとりつつ、源氏の君は大堰(おおい)へと出発します。
大堰へ着きました。明石で質素にしていた時でさえも美しかった源氏の君が念入りに身なりを整えた直衣姿はさらに美しくまばゆいばかりで、明石の君は曇った心の闇が晴れるようでした。そして姫君に初めて会った源氏の君はとても感動し、今まで会えなかった年月を悔しく思います。姫君が笑った顔はあどけなく愛嬌があり、とても可愛らしいのでした。
「ここは遠くて来るのが大変なので、二条へ移ってはどうか」と源氏の君は言いますが、明石の君は「まだ都になれておりませんので」と答えます。そのままふたりで夜を明かしました。
源氏の君が、明石の思い出を話しながら泣いたり笑ったりしてくつろいでいる様子をそっと覗いた尼君(明石の君の母君)は微笑ましく思います。
仏具があるのに気づいた源氏の君は「尼君もこちらにおられるのか。」と几帳のそばに寄り、尼君に、姫君を美しく育てられたことや、明石を離れてつらい俗世に戻られたことへの感謝、そして明石に残った入道への気遣いなどをやさしく話します。尼君はありがたく思って泣くのでした。
源氏の君は嵯峨の御堂に行ったあと、月明かりの中を大堰へ帰ってきました。
明石での夜を思い出していた源氏の君に、明石の君はあの琴を差し出します。源氏の君がしみじみと心打たれて琴をかき鳴らすと、あの時にかえったような気持ちになるのでした。
契りしに変はらぬ琴の調べにて絶えぬ心のほどは知りきや
“あの時約束したように琴の音が変わらないうちに会いにきました 変わらない私の心をわかっていただけましたか”
源氏の君
変はらじと契りしことを頼みにて松の響きに音を添へしかな
“変わらないとお約束してくださったお言葉を頼りに 松風の響きにあわせて泣きながらお待ちしていました”
明石の君
源氏の君は二条院に戻ったあと、まだ機嫌が悪そうな紫の上に姫君のことを話します。
「あちらでかわいらしい姫に会って来たのですよ。実は、この先姫君をどうしたものかと思い悩んでいるのですが、ここで育てるのはどうでしょうか。三歳になりますが、無邪気でかわいいので放ってもおけないのです。嫌でなければ面倒を見てやってくださいませんか」と源氏の君が言います。
紫の上は「私が嫉妬しているとあなたが思っていらっしゃるから、私も素直になれないのです。私はきっと姫君のお相手にぴったりですよ。とてもかわいらしいのでしょうね」と少し笑みをこぼします。紫の上は子どもが大好きなので、引き取って大切に育てようと思うのでした。
*****
▼大和和紀さんの漫画『あさきゆめみし』は読みごたえがある超大作。私は源氏物語を読む前に、あさきゆめみしを読破しました。「源氏物語の訳本を読んでみたけれど、文章がわかりにくくて挫折した」という、じっくりと源氏物語を読んでみたいという人にとてもおすすめです。
私は↓この「完全版」ではなく、文庫サイズのもの(全7巻)をBOOK・OFF(ブックオフ:古本)で買って揃えました♪
リンク
*****
第19帖 薄雲
子との別れ
冬になるにつれて、大堰の明石の君の住まいはとても物寂しくなります。源氏の君は二条の東の院に来るよう勧めますが、明石の君はまだ決めかねています。
源氏の君は「姫君を紫の上に任せるのはどうでしょうか。紫の上はとても会いたがっているのです」と相談します。「今さら身分の高い方に育てられても、母であるわたしの身分が低いことが明るみに出て、かえって姫君のためにならないのではないでしょうか」と不安になる明石の君を、源氏の君は説得し続けます。
明石の君は「どんな女君になら落ち着かれるのだろうと噂されていた源氏の君の浮気心がすっかり静まったのだから、紫の上のお人柄がとても優れているのでは。まだ幼いうちに譲ってしまおう」と決心する一方、「姫君を手放したらどうやって暮らしていったらいいのだろう。源氏の君はお立ち寄りくださるだろうか」と悩み続けるのでした。
源氏の君が姫君を迎えに来ました。明石の君は、いつもなら源氏の君が来るのが待ちどおしいのに、今日は胸がつぶれそうに苦しく思います。源氏の君は、娘を他人に渡すというのはどんなにつらいことだろうと夜を徹して慰めますが、「私のようなつまらない者の子としてではなく育ってくれれば」と明石の君がこらえきれずに泣く様子はとても気の毒でした。
姫君は、車に乗ろうと無邪気にせかしてきます。片言の声がかわいらしく、袖をつかんで「乗りましょう」と引っぱってくるのも、明石の君はたまらなく悲しく思います。
「また会えるでしょうか」と言う明石の君に、源氏の君は「きっといつかは」と答えます。そうして姫君をのせた車は、明石の君のもとを離れていったのでした。
末遠き二葉の松に引き別れいつか木高きかげを見るべき
“生い先長いこの姫君と今別れて いつ大きく育った姿を見ることができるのでしょうか”
明石の君
生ひそめし根も深ければ武隈の松に小松の千代をならべむ
“ふたりの間に生まれてきた宿縁は深いのだから きっとふたりで成長した姫の姿を見ることができるでしょう あの武隈の松と小松のように”
源氏の君
暗くなってから二条院に着きました。姫君のために、源氏の君は特別に部屋を用意しており、調度品も取り揃えてあります。途中で寝てしまっていた姫君は、目を覚ましてしばらくは母君や女房などを探して泣き続けていましたが、もともと人なつっこく愛嬌があるので、そのうち紫の上にもなついていきました。
紫の上は「ほんとうに可愛らしい子を授かった」と思い、懸命にお世話します。
大堰では、明石の君が姫君を手放したことを悔いて嘆いていましたが、姫君が大切にされているのを聞いて慰められます。源氏の君も「姫君がいなくなったから足が遠のいたのだろうか」と思われないように、その年の内に明石の君を訪ね、その後も絶え間なく文を送ります。紫の上はもう明石の君のことで恨みごとを言うことはありませんでした。
大切な娘を紫の上に預けることにした明石の君。紫の上はその悲しさや辛さを推し量って、「源氏の君が会いにいくことくらい目をつぶらなければ」と思うようになったのです。
穏やかな年明け
年が明けました。うららかな空が広がり、二条院には参賀で人々が途切れることなく集まってきます。
東の院の対の花散里は幸せそうに暮らしています。近くに住むようになってからは、源氏の君がふとお越しになることも多くなりました。ただ、夜に泊まるためにわざわざ来るようなことはありません。
花散里は性格がおおらかな上に素直で、「自分はこの程度の運勢しかない身だから」とあきらめた感じでのんびりしています。そんな花散里を、源氏の君は紫の上と同じくらいにもてなすので、花散里のところにも同じように人が集まってお仕えするのでした。
大堰の明石の君は、ゆったりと趣深く暮らしており、高貴な人々に劣らず美しくなっていました。
源氏の君は、いつも短い逢瀬でゆっくりできずに立ち去るのを心苦しく思います。明石の君が琵琶を掻きならすのを見ても「何もかも備わったすばらしい方だ」と思うのでした。
源氏の君は近くの嵯峨の御堂や桂院に来るのを口実に明石の君を訪ね、夢中になっているようには見せないものの、並の女のように軽く扱うこともないので、やはりご寵愛が深いようです。
明石の君も、出過ぎたことはせず自分を卑下することもなく、申し分のない態度です。「側で仕えて見慣れてしまうと、軽く扱われるようになるかもしれない。このようにたまにでもわざわざお越しいただける方が面目が立つ」と思っているのでした。
不吉な兆し
太政大臣が亡くなりました。世の重鎮だったので、帝はお嘆きになり、源氏の君も残念に思います。
帝は成長して政も立派に執り行われていましたが、太政大臣の死により、源氏の君以外の後見を失ってしまいました。
その年は世の中に変事が多く、朝廷でも神仏のお告げが多くあります。空にいつもと違う月や太陽や星の光が見えたり、怪しい雲が現れたりするので、人々は皆驚くばかりです。しかし源氏の君だけは、心に思い当たることがあるのでした。
太政大臣が亡くなった今、冷泉帝がまだ若いので、この先実質的な権力を握るのは源氏の君となります。しかし、故桐壺院と藤壺の尼宮との子であるとされている冷泉帝は、実は源氏の君の子。その罪を忘れるなという天の戒めではないかと源氏の君は思っているのです。
藤壺の尼宮の死
藤壺の尼宮は正月から病がちでしたが、三月にはひどく重くなってきました。見舞いに来た冷泉帝は、「厄年なのでことさら気をつけなければならないのに、具合が悪いまま何ヶ月も過ごしていらっしゃったなんて。」と悲しく思います。いつもの病気のことと油断していたことに、源氏の君も心を痛めています。
藤壺の尼宮は、苦しくてはっきり物も言えなくなってきました。「先帝の子として生まれてから国母にまでのぼりつめた私の人生を、人々は女として最高に幸せな人生だと思うだろう。でも、たったひとつの恋を諦め、その人との子のことを隠し通さなければならない、誰よりもつらい人生でもあったのだ」と思い知るのでした。
藤壺の尼宮はずっと、冷泉帝が源氏の君の子であることを必死で隠してきました。でもそのことを知らずにいる帝がいつか罰を受けるのではないかと心配しています。
源氏の君はずっと抱えていた藤壺の尼宮への想いを抑えきれず、近くに寄ります。
藤壺の尼宮が「桐壺院の御遺言どおりに、よく帝の御後見をお務めくださいました」とかすかにおっしゃるのを聞いて、源氏の君は言葉に詰まって涙も止まりません。「至らぬ身ながらも心を尽くしておりますが、太政大臣がお亡くなりになった上に、尼宮さままでとなりましたら、わたくしのこの命ももう長くは…」と源氏の君が申し上げている間に、藤壺の尼宮は亡くなってしまったのでした。
幼い頃、母に似た美しい藤壺に心惹かれた源氏の君。それはいつしか恋へと変わり、その気持ちが強いがゆえに罪をも犯してしまいました。消えることのない罪悪感を持ち続けるふたり。お互いに想い合いながらも、決してそれを表に出してはならず、やりきれない思いを抱えながら何年も何年も過ごしてきました。
最後には冷泉帝を守るということでしかひとつになれなかったふたりの悲しい恋が、今、終わりを迎えたのでした。
入り日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがへる
“入日のさす峰にたなびく薄雲は 悲しみの喪に服す私の袖に似せてあんな色をしているのだろうか”
源氏の君
源氏の君が詠んだこの歌から、この帖の名は「薄雲」となりました。
出生の秘密の露呈
四十九日の法事が終わりました。ある静かな夜明けに、帝の側に誰もいないことを確かめてから僧都が帝に申し上げました。
「このまま黙っていては、桐壺院、藤壺の尼宮、そして源氏の君のためによからぬ噂が広がってしまうかもしれません。さらに仏天のお告げもありましたので、申し上げます。
帝を御懐妊された時から、尼宮には深く思い嘆くことがありまして、祈祷を命じられました。また、源氏の君が須磨へ退去された時などは何度も祈祷を命じられ、源氏の君からも祈祷を命じられ、それは帝が即位されるまで続きました。そのうけたまわった祈祷というのは…」
それは帝にとって思いもかけないことだったので、恐ろしいやら悲しいやらで困惑します。
しばらく黙っていた帝が「このことを知らずにいたら、もっと罪をおかすところだった。他にこのことを知っている者はいるか」と聞き、僧都は「王命婦(藤壺の侍女)だけです。帝がこの天や世の乱れが何の罪の結果なのかをご存知ないのが恐ろしく、あえて申し上げた次第です」と泣くのでした。
この時代、天変地異は君子の徳が至らないからだという考えがありました。冷泉帝が自分の出生の秘密を知らないままでは、天変地異の原因を追究することができず対処できないので、帝は罪を重ねることになるのではないかと僧都は考えたのです。
その日、桃園式部卿の宮(朝顔の君の父)が亡くなったと知らせがあり、帝はますます世の中が騒がしくなると思い沈んでいます。そのため源氏は自邸に帰らず、帝のそばについています。
「いつにもまして心細く、世の中もこんなに不穏でなんだか落ち着きません。いっそのこと譲位して穏やかに暮らしたいのです」と帝が言うので、源氏の君は「世が静まらないのは、必ずしも政が原因とは限りません。優れた帝の世でも、よからぬことは起こります。式部卿の宮が亡くなられたのも、そういうお歳だったからですよ」などと慰めました。
あの話を聞いてから、帝は自分にそっくりな源氏の君の顔を見ては切なくなるので、秘密を知ってしまったことをそれとなく伝えようとはしますが、なかなかできません。帝がいつもと違う様子であるのを、源氏の君は妙だとは思っていましたが、まさかそこまではっきりと知ってしまったとは思ってもいないのでした。
秋の司召しで、冷泉帝は源氏の君を太政大臣に内定したあと、源氏の君に帝位を譲りたいと話します。源氏の君は「故桐壺院は、多くの皇子の中でもとりわけ私のことを大切にしてくださいましたが、帝位を譲ることはなさいませんでした。どうして今さらその御意向にそむけるでしょうか。」と言って辞退したので、帝は残念に思うのでした。
源氏の君が太政大臣も辞退したので、帝はそれならばせめて親王になってほしいと言いますが、源氏の君は「それでは政の後見がいなくなってしまう。権中納言が大納言になって右大将を兼任しているが、もう一段昇進なさったらすべて任せて、静かに暮らそう」と思っていました。
帝の言動が気になる源氏の君は王命婦(藤壺の侍女)に会って「藤壺の尼宮は、あの秘密を少しでも帝に漏らしてしまったことがありますか」と聞きます。王命婦は「いえ、決してありません。帝がお知りになることをひどく恐れていらっしゃいました。しかし一方で、このまま知らせないでいることは帝が罪を負うことになるのではないかと、悩んでいらっしゃいました」と申し上げます。源氏の君は、とても思慮深かった故藤壺の尼宮を切なく思い出すのでした。
王命婦は藤壺の侍女だった者。藤壺が中宮だったころ、源氏の君の押しに負けて藤壺との逢瀬を手引きしてしまったのです。冷泉帝が産まれたことも、ふたりがこんな運命になってしまったことも、自分があの時手助けしてしまったからではないかと後悔していたかもしれません。それとも…。
六条の御息所との思い出
前斎宮である梅壺の女御は、冷泉帝から格別のご寵愛を受けていました。心遣いや人柄なども申し分なく、源氏の君も大切にお世話しています。
秋になって、女御は二条院に里帰りしました。秋の雨が静かに降って、色とりどりに咲き乱れた花が露に濡れています。源氏の君は六条の御息所のことを思い出し、女御を訪ねました。
几帳だけで隔てて、野宮での別れのことなどをしみじみと思い出しながら話します。梅壺の女御も母君を思い出しているのか、泣いているようです。そのかわいらしい様子に「直接見れないのが残念だ」などと思う源氏の君には困ったものです。
斎宮が伊勢に下る前、野宮にいる御息所を訪ねたのが秋だったのです。だから源氏の君は御息所のことを思い出したんですね。
源氏の君は梅壺の女御に「最後まで打ち解けられないまま心残りのうちに終わってしまった恋がふたつあるのです。そのひとつは、お亡くなりになった母君とのことです。このようにあなたをお世話することで慰めにはしていますが、母君がわたしのことを恨んだままお亡くなりになられたことはとても残念です」と語りかけますが、もうひとつの恋については触れません。
源氏の君が「以前落ちぶれていた時に望んでいたことは少しずつ叶いつつあります。かわいそうに思っていた花散里のお世話もできるようになりました。あなたに対しても気持ちを抑えてお世話しているのをご存じですか」と言うので、女御はどうこたえてよいかわからず返事ができません。
源氏の君は「やはり私のことは好きではないのですね」とつぶやきながら話を変えます。
「一年のあいだに移り変わっていく四季の花や紅葉、空の趣などを思う存分楽しみたいので、春の花の木を植えたり秋の草を移し植えたりして、人にもご覧にいれようと思うのですが、春と秋のどちらがいいと思いますか」と聞くと、女御は「『あやし』と詠まれた秋の夕暮れは、はかなく亡くなった母を思い出します」と答えました。
女御が恋歌を持ち出してきたので、源氏の君はそれに乗じて女御に歌で恋心を伝えます。しかし女御はそれをよく思わず奥へ引っ込んでしまったので、源氏の君は仕方なく部屋を出ていきました。源氏の君の残り香さえも、女御は嫌だと思うのでした。
古今和歌集に「いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり(どんな時も恋しくない時はないけれど、特に秋の夕暮れというのは不思議に人恋しいものだ)」という歌があります。梅壺の女御がこの歌を持ち出してきたので、源氏の君は次のような歌を詠みました。
君もさはあはれをかはせ人しれずわが身にしむる秋の夕風
“それならばあなたも私と思いを交わしてください 人知れず秋の夕風が身にしみるのです(あなたに思いを寄せているのです)”
源氏の君
源氏の君は「無理な恋にのめりこむ癖がまだ残っていたのか」と自分でもあきれます。でも梅壺の女御に恋することはさすがにダメだと思い直す思慮分別はあったようです。
「絵合・松風・薄雲」をご紹介しました。最後まで読んでいただきありがとうございます。次回は「朝顔」からです。
<PR>
私は「Kindle Unlimited」を利用し、スマホで『源氏物語』を読んでいます。「Kindle Unlimited」はAmazonが提供する電子書籍定額読み放題サービスです。
- 月額980円 ※無料体験期間30日間
- 本のタイトル数は200万冊以上!
- Kindle読書アプリやウェブブラウザを使って本を読めます
- アマゾンから専用の電子書籍リーダー・Kindle端末も販売
源氏物語をじっくり読みたい方にも、マンガで読破したい方にもおすすめ。気になる方は是非ご覧ください!