【源氏物語】①「桐壺」あらすじ&ゆかりの地巡り|わかりやすい相関図付き

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2024年の大河ドラマは第63作『光る君へ』。時代は平安、主人公は紫式部。『光る君へ』では、藤原道長との出会いにより人生が大きく変わることとなる紫式部の人生が描かれています。

たまのじ

紫式部を演じるのは吉高由里子さん。藤原道長は柄本佑さんが演じます。

私は『源氏物語』を読み始めました。『源氏物語』は紫式部の唯一の物語作品。せっかくなので、『源氏物語』を読み進めるのと並行して、あらすじや縁のある地などをご紹介していこうと思い

※和歌を含め、本記事は文法にのっとっての正確な現代語訳ではありません。ご了承ください。

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▼巻ごとのあらすじを中心に、名場面や平安の暮らしとしきたりを解説。源氏物語が手軽に楽しくわかる入門書としておすすめの一冊! 

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目次

第1帖 桐壺①

帝に寵愛を受ける更衣

いつかの帝の時代に、多くの女御(にょうご)や更衣(こうい)の中で、帝に格別に愛されていた更衣がいました。
後宮女官の中では身分の低い更衣を帝がとてもかわいがるので、その更衣は他の女御や更衣から嫉妬や恨みを受けていました。
そのせいか更衣は病気がちになりますが、そんなか弱い更衣を帝はますます愛しく思うようになります。

「源氏物語」において、帝の妃たちには家柄による身分の差があり、上から中宮(ちゅうぐう)、女御更衣と呼ばれました。貴族や大臣の娘は女御と呼ばれ、女御の中から一人だけ選ばれるのが最も身分の高い中宮。大納言以下の位の娘は更衣とされていました。

父の大納言が早くに亡くなり後ろ盾を失ったこの更衣は、没落した家の娘として見られていたのです。そんな更衣が帝に寵愛されていたのですから、先に入内していた他の女御や更衣が嫉妬するのも当然ですね。

やがて更衣はとても清らかで美しい玉のような男の子を産みます。
帝と弘徽殿(こきでん)の女御との間には第一皇子がいましたが、帝がかわいがるのは若宮(第二皇子・更衣の子)ばかり。弘徽殿の女御は「若宮が東宮(皇太子)になるかもしれない」と疑念を抱くようになります。
そして更衣は病弱で後ろ盾のない心細さから帝の深い愛情にすがりながらも、自分をおとしめようとする者が多い宮中で、帝に大切にされればされるほど苦しみが増えていくのでした。

弘徽殿の女御とは「弘徽殿」に住む女御、という意味。後宮で最も格の高い弘徽殿に住んでいたことから、権勢を誇っていました。

弘徽殿の女御は、右大臣の娘である自分よりも位が低い更衣が帝にかわいがられていることが許せません。また、自分が産んだ皇子が東宮(皇太子)になるかどうかは、一族の繁栄を左右する重大なこと。弘徽殿の女御は更衣への嫉妬をますます募らせていきました。

桐壺の更衣の死

その更衣の殿舎(住まい)は桐壺(淑景舎)。
帝に呼ばれて清涼殿へ行くことが続いた頃には、通い廊下に汚物をまかれたり、廊下の戸に錠をかけられたりして数々の嫌がらせを受けました。
それを憐れんだ帝は、清涼殿のそばの後涼殿にいる他の更衣を別のところへ移し、桐壺の更衣へその部屋を与えました。そのことでさらに激しい嫉妬や憎悪を受けることになるのです。帝が「桐壺帝」と呼ばれるほどの御寵愛ぶりでした。

内裏図

桐壺の更衣とは「桐壺に住む更衣」のこと。桐壺は、帝が過ごす清涼殿から最も離れた、位の低い者に与えられる殿舎です。

帝が桐壺を訪れたり、更衣が帝に呼ばれて清涼殿へ向かう時には、他の妃の殿舎のすぐ横や渡り廊下を通ります。ふたりが行き来しているのを常に見せられていた他の妃たち。皆が桐壺の更衣への嫉妬を募らせていったのは当然のことでした。

手毬

若宮が三歳になり行われた袴着の式。あまりにも美しく聡明な若宮には皆驚くばかりでした。
その年の夏、御息所(みやすどころ)(桐壺の更衣)は病気になり実家に下がることになりました。間もなく御息所はお亡くなりに。そして若宮は御息所の実家に預けられることになりました。
桐壺帝は他の女御や更衣を呼ぶこともなくなり、長くつらい悲しみの日々を過ごすこととなります。

御息所(みやすどころ)というのは、ここでは「皇子・皇女の母となった更衣」のことを指します。状況や役職が変わると呼び方も変わってしまうので、登場人物を把握するのがちょっと難しくなりますね。

宮中で亡くなることは禁じられているため、御息所は実家に下がらなければなりませんでした。しかし御息所との別れに耐えられない桐壺帝は御息所を引き留め、「死ぬ時は一緒だと約束したのに、私を置いて行かないでくれ」と泣きすがって言います。それに対して御息所が詠んだのがこの歌です。

限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり

桐壺の更衣

「もうこれであなたと死に別れる道を行かなければならないのはとても悲しいのです。死の道へ行きたがっているのはわたしのこの命であって、わたしはあなたと生きる道を行きたいのです。」と息絶え絶えに桐壺帝に伝える御息所。そして「いとかく思ひたまへましかば(こういうことになるとわかっていましたら)」とまだ何か言いたそうでしたが、後が続きませんでした。

なりふり構わず「行くな」と御息所に泣きすがる帝を見て、本当に心の底から「生きたい」と願った御息所。ここまで強く「生きたい」と願うことになるとわかっていたのなら、もっと強い心をもって宮中で暮らしていくことで、もしかしたら死なずにまだ帝と生きていけたのかもしれないとお思いになったのでしょうか。

六道珍皇寺*この世とあの世の分岐点「六道の辻」

愛宕(おたぎ)といふ所に、いといかめしうその作法したるに、おはし着きたる心地、いかばかりかはありけむ。

源氏物語「桐壺」

“愛宕というところで厳粛に葬儀を執り行っていたが、(御息所の母が愛宕にお着きになった時のお気持ちはどのようなものであっただろうか”

「愛宕」は京都市東山区の清水寺の近くにある、かつて「愛宕寺」と呼ばれていた六道珍皇寺を想定していたのではないかという説があります。

六道珍皇寺MAP

京の都の東にある阿弥陀ヶ峰のふもと・鳥辺野は、死者を埋葬する場所とされていました。御息所(桐壺の更衣)の邸があると想定された二条から鳥辺野までの間に六道珍皇寺があります。

清水寺へ向かう清水坂・五条坂の南側にある「茶碗坂」の南側辺りが鳥辺野。そこには今でも多くのお墓があります。

六道珍皇寺

六道珍皇寺は京都では「六道さん」の名で親しまれ、お盆の精霊迎えに参詣する寺として知られています。古くは愛宕寺(おたぎでら)とも呼ばれていました。

「六道」とは、仏教において死後の世界とされる六つの世界のこと。この世とあの世の分岐点である「六道の辻」がこの六道珍皇寺の境内の辺りであると言われています。

「六道の辻」中心付近に建つ三界萬霊供養塔

平安時代の官僚であり歌人でもある小野篁(おののたかむら)。小野篁は昼は朝廷の役人、夜は冥界で閻魔大王の助手をしていたという伝説があります。

六道珍皇寺には小野篁が冥界への出入り口として使ったとされる井戸があります。

「小野篁冥土通いの井戸」

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▼姫君はネコ、殿方はイヌのイラストで、物語の全体像を分かりやすく解説!当時の皇族・貴族の暮らし、風習、文化、信仰などについても詳しく紹介されています。

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第1帖 桐壺②

第一皇子が東宮に

月日が経ち、若宮が参内しました。あまりにも美しく成長しており、その稀なる美しさはかえって不吉に思えるほどです。
翌年春、第一皇子が東宮(皇太子)に
やがて、若宮の祖母(御息所(桐壺の更衣)の母)が亡くなり、若宮は宮中で暮らすことになります。若宮が六歳の時でした。

桐壺帝は、東宮には第一皇子ではなく若宮をと思っていたのです。しかし、後ろだてもない上に、桐壺の更衣がされたように若宮にも危険が及ぶと判断して何も言わなかったんですね。若宮が東宮になるのではないかと疑っていた弘徽殿の女御は、自分の息子である第一皇子が東宮になり、安心します。

高麗人の人相見

学問だけでなく、琴や笛などにあらゆることにおいて抜群の才能を持っている若宮。宮中の人々はその才能に驚き、誰もが若宮を慕っていました。
そんな折、来朝していた高麗の人相見が若宮を見て、「最高の位につく相があるが、そうなると国が乱れ、民が不幸になるかもしれません。しかし、帝の重臣となれば才能を発揮するだろう」と言います。桐壺帝は、若宮が元服を迎えたら源の姓を与えて臣下とすると決めました。

桐壺帝は以前から若宮の将来を考えていました。後ろ盾のないまま皇族でいるよりも、皇族を離れて臣下に下るほうが、若宮にとって良いのではと考えたのです。若宮は優秀なので、臣下にしてしまうのは残念なこと。しかし、皇族のままでいることによって「帝の地位を狙うのではないか」などと世間の人々に疑われるよりは、臣下にした方が自由に生きられるのではないかと桐壺帝は考えたのです。

東鴻臚館

平安時代、京の中央を南北に貫く朱雀大路の七条の東と西に、ふたつの鴻臚館(こうろかん)と呼ばれる施設がありました。その当時交流があった国といえば唐ですが、この東鴻臚館を利用したのは、唐ではなく渤海国(ぼっかいこく)の使節でした。

光源氏が身分を隠して高麗の人相見に会い将来を予言された場所として、鴻臚館が想定されています。

第1帖 桐壺③

藤壺の女御の入内

年月が流れても、桐壺帝は御息所(桐壺の更衣)のことを忘れられません。ある時、先帝の四の宮が御息所によく似ているという話を聞き、桐壺帝はその姫宮を女御として迎え入れます。御殿は藤壺。藤壺の宮(姫宮)を迎えたことで、桐壺帝は以前のように笑顔で暮らすようになっていきました。
若宮は桐壺帝と一緒に藤壺を訪れる機会が多く、花や紅葉の美しい枝があればまず藤壺の宮に見せたいと思うほど、亡き母(桐壺の更衣)に似るという藤壺の宮を慕うように。そして藤壺の宮も若宮を愛おしく思うようになりました。
このふたりの美貌は輝くばかり。若宮は「光る君」、藤壺の宮は「輝く日の宮」と呼ばれるようになりました。

弘徽殿の女御は、桐壺の更衣の時と同様、桐壺帝にかわいがられる藤壺の宮にまた嫉妬します。若宮が藤壺の宮を慕うので、桐壺の更衣を憎んでいたのを思い出したかのように、若宮も憎むように。弘徽殿の女御は「私は最初の妃で皇太子も産んだのに、なぜ私が1番じゃないの?」とイライラしているわけです。

源氏の君(若宮)の元服

若宮は十二歳になり元服を迎えることに。前年には東宮(皇太子)の元服の儀式が紫宸殿(ししんでん)で立派に執り行われましたが、清涼殿の東の廂(ひさし)の間で行われた源氏の君(若宮)の儀式もそれに引けをとらないものでした。源氏の君が髪上げをして装束に着替えた姿はとても美しく立派なもので、一同は涙を流したのでした。
そして源氏の君は、左大臣の姫君・葵の上の婿となります。左大臣は大きい勢力を持ち、葵の上の母と桐壺帝は同じ母后の子。さらに源氏の君を婿に迎えたことで、東宮の祖父である右大臣よりも大きな勢力となりました。
一方で、右大臣は左大臣の子・蔵人少将(のちの頭の中将)を四の君の婿として迎えます。

主要登場人物相関図①

実は、「左大臣の姫君(葵の上)を東宮の妃に」という申し出があったのですが、その時に左大臣が返事を躊躇していたのは、葵の上を源氏の君に差し上げたいと思っていたからなのです。東宮の母・弘徽殿の女御は葵の上を源氏の君に取られたことを知り、またも憤慨します。

御簾(みす)

桐壺帝が源氏の君をそばから離さないようにするので、源氏の君は妻・葵の上の家(左大臣家)にゆっくり行くことも出来ません。葵の上は源氏の君よりも少し年上。そして東宮の后になるよう育てられたため気高く、源氏の君は葵の上には心惹かれません。恋しいのは藤壺の宮だけです。しかし元服を終えたので、以前のように御簾(みす)の内側に入り顔を見ることも出来ません。藤壺の宮が奏でた琴や笛の音、物越しに聞こえるかすかな声を聴くことだけが慰めでした。

御息所(桐壺の更衣)がいた部屋(桐壺)は源氏の君に与えられ、そこに仕えていた女房たちはそのまま源氏の君の世話をしています。また、御息所の実家はとても立派に改築され、池も大きくなりました。源氏の君は「こんな家で理想の妻と暮らすことができたら・・・」と胸を痛めます。ここが二条院です。

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▼訳・瀬戸内寂聴の「源氏物語」は、比較的わかりやすい文章で書かれているので、源氏物語を読破してみたい方におすすめ。全十巻からなる大作です。巻ごとの解説や、系図、語句解釈も付いています。

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陽成院跡*二条院候補地

ゆかりの地看板
「源氏物語ゆかりの地」看板

二条城と京都御苑の間にある「陽成院跡」。関白・藤原基経によって17歳で退位に追い込まれた陽成上皇。陽成上皇が内裏から移ってきて御所としたのが陽成院です。現在の夷川児童公園一帯がそれにあたります。

『源氏物語』において、紫式部は光源氏の二条院をこの辺りに想定していたとされています。

たまのじ

「桐壺」をご紹介しました。最後まで読んでいただきありがとうございます。次回は「帚木(ははきぎ)」からです。


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▼大和和紀さんの漫画『あさきゆめみし』は読みごたえがある超大作。私は源氏物語を読む前に、あさきゆめみしを読破しました。「源氏物語の訳本を読んでみたけれど、文章がわかりにくくて挫折した」という、じっくりと源氏物語を読んでみたいという人にとてもおすすめです。

たまのじ

私は↓この「完全版」ではなく、文庫サイズのもの(全7巻)をBOOK・OFF(ブックオフ:古本)で買って揃えました♪

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