【滋賀】石山寺|紫式部に縁のある「花の寺」を詳しく紹介*境内MAP付き

プロモーションを含みます

目次

石山寺とは

「花の寺」西国三十三所・第十三番札所

石山寺

石山寺は滋賀県大津市にある東寺真言宗のお寺。西国三十三所・第十三番札所です。真言宗の大本山に当たるお寺で、安産・福徳・厄除・縁結のご利益があります。

巨大な硅灰石の上に建つ本堂(国宝)、源頼朝が寄進した日本最古の多宝塔(国宝)など、見どころはたくさん。また、椿や梅、桜、牡丹、キリシマツツジ、花菖蒲、あじさい、紅葉など、四季折々の花が咲く「花の寺」としても知られています。

上り下りが激しいところや、足元の悪い道などもあるので、歩きやすい靴での参拝をお勧めします

「源氏物語」はじまりの地

平安時代には「石山詣で」が流行。『蜻蛉日記』の藤原道綱母、『更級日記』の菅原孝標女、『枕草子』の清少納言など多くの人が参籠しました。そして紫式部は参籠中に琵琶湖に映る月を見て『源氏物語』の着想を得たとされており、紫式部像もあることなどから、紫式部(源氏物語)ゆかりの地としても知られています。

石山寺各所の図
東大門手前(「現在地」の位置)にある「石山寺境内各所の図」

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石山寺の見どころ

それでは、実際に私が参拝した順序でご紹介して行きます。駐車場からスタート!
※「現在地」の位置にこの「石山寺各所の図」が掲示されています。

記事の最後に所要時間やおすすめのホテルを紹介しています。是非ご覧ください。

松尾芭蕉句碑

松尾芭蕉句碑
松尾芭蕉句碑

「石山の石にたばしる霰(あられ)かな」

石山寺にある巨大な硅灰石の上に、白くて硬いあられが激しく降り注いでいる様子を詠んだ句。はじけたあられがいろんな方向に飛び散る様子や、硅灰石にあられが当たった時の音を楽しいと感じて詠んだのでしょうか。

余談ですが、この近くにある和菓子と甘味のお店「茶丈藤村」に「たばしる」という和菓子があるそうです。とってもおいしそう!リサーチ不足の為、私は残念ながらお目にかかることはできなかったのですが、また石山寺に行く時には必ず寄ってみたいお店です。

和菓子「たばしる」

しじみ貝塚碑

史跡 石山貝塚の碑

松尾芭蕉句碑の隣には、「史跡 石山貝塚」の碑が。この貝塚は昭和十五年に発見され、計六回の発掘調査が行われました。その結果、貝層はセタシジミを中心とする十種類の淡水産の貝で形成されており、東西約二十m、南北約五十mだったそうです。

この貝層からは炉跡や五体の屈葬人骨が発見され、その中の一体は貝製の首飾りを身に着けていました。そのほか、縄文式土器をはじめ、石斧などの石器類、狩猟道具などの骨角器、骨や貝から作られた装飾品など多数の遺物が出土。さらに縄文時代の人々が食べたサル・イノシシ・シカなどの獣や、コイ・フナなどの魚の骨も多数出土したそうです。

少し先には「石山縄文しじみ貝塚の塔」もありました。(何をどう表しているのか、よくわからない・・・)

石山縄文しじみ貝塚の塔

三鈷の松

三鈷の松

高野山にあることで有名な三鈷の松が石山寺にもありました。

「三鈷の松」とは葉先が三つに分かれている珍しい松。「三鈷」とは智慧・慈悲・まごころを表し、この松の葉を持っていると三つの福を授かることができるそうです。

三鈷の松
弘法大師が日本で真言密教を広めるのにふさわしい土地はどこかと、中国から帰国する時に「三鈷杵(さんこしょ)」という密教の法具を空に向かって投げました。その三鈷杵が引っ掛かっていたのが高野山の松の木。松葉は通常二本ですが、その松の葉は三本あり、「三鈷の松」と呼ばれるようになりました。

弘法大師は厄年に3ヶ月間、石山寺に参籠して修行したそう。

朗澄律師大徳遊鬼境

朗澄律師(ろうちょうりっし)は、石山寺屈指の名僧。教学のほか図像画にも秀でており、多宝塔(国宝)内部の壁画は朗澄律師の筆によるものではないかと言われています。

『朗澄律師は、死後は鬼の姿となって石山寺の聖教を護るという誓いを立てて亡くなります。その後、弟子の行宴の夢に現れたため、行宴がその場所に行ってみると、松の木の上に鬼のような姿の朗澄がいました。』「石山寺縁起絵巻」にあるこの場面を表現したものが、この庭園だそうです。

朗澄律師の像は、東大門に向かって右手に少し進んだところにある遊鬼境(ゆうききょう)にあります。

東大門前

それでは次は東大門付近を紹介して行きます。

東大門付近

東大門 <重要文化財>・仁王像

東大門

東大門ひがしだいもん(需要文化財)は、1190年に源頼朝によって建立され、のちに豊臣秀吉の側室・淀殿によって改修されたとされています。両脇にはなんとも力強い仁王像が・・・たくましい。

仁王像

参道

参道

東大門をくぐると、参道がまっすぐ伸びています。私が参拝したのは10月。

11月中旬~12月初旬にかけて、「あたら夜もみじ」が開催。紅葉で彩られた参道がライトアップされ、とても幻想的な空間となるようです。その時期を狙って、参拝してみるのもいいですね。

拾翠園・金龍竜王社

拾翠園

東大門をくぐって少し行くと右手にあるのが拾翠園。休憩所です。

石山寺物産館 紫―MURASAKI―
拾翠園に約1年間の期間限定で物産館がオープン!大河ドラマ「光る君へ」に関連したお土産や大津の特産品などが並んでいます。
【営業期間】 2024年1月29日(月) ~2025年1月31日(金)
【営業時間】9:00~17:00

拾翠園

庭にはお茶席が設けられていて、抹茶や走り井餅をいただくことができます。自販機も数台あったかな。

紅葉の季節に来ると素敵だそうです。

金龍竜王社

奥まで進むと金龍竜王社が。大日如来の化身、石山寺の守護神で、除災招福をつかさどると言われています。

MAP

拾翠園を出て参道をしばらく歩くと、ようやく参拝受付です。ここで受付をしてから、次は「くぐり岩」へ行きます。
※写真を撮るのを忘れてしまいました・・・

(2023年10月時点)
受付所で参拝券として渡されるパンフレットに境内図(MAP)が付いているので、全体を把握してから動くと回りやすいです。
※公式サイトのMAPの方がより多くの見どころの場所が記載されています。(パンフレットには、「くぐり岩」や「子育て観音」などの名前が書かれていませんでした。)

MAP
パンフレットの境内図

くぐり岩

くぐり岩

くぐり岩。なんと!穴をくぐると願い事が叶うそうです。なんとしてでもくぐらなければ。

このあたりの岩は全部大理石である 奇岩怪石の幽遂の境中天然自然に体内くぐり状態をなす この池は天平時代のものである

くぐり岩 駒札より
くぐり岩入口

想像はしていたけれど、まあまあ狭い。足を滑らせないように、頭をぶつけないように、ずっと中腰で集中して進む。

くぐり岩出口寸前

途中から暗くなるのでさらに集中して進むと、外の光が!ここでフッと気が抜けて、早く出ようと思ってしまった途端、頭を2回ほどぶつけてしまいました。皆さん、お気をつけて。

※足元が危険なので、スニーカーなど歩きやすい靴が必須
※私みたいにおっちょこちょいの人は、帽子もかぶっておきましょう

くぐり岩全体(入口と出口)

比良明神影向石(ひらみょうじんようごうせき)

比良明神影向石

パッと見てなんだかよくわからないこの石。比良明神影向石だそうです。駒札を読むと、石山寺の創建に深く係わる重要な石でした。

東大寺の僧良弁僧正は、聖武天皇に東大寺の大仏建立に必要な黄金の調達を命じられ、金峯山に籠って金剛蔵王の夢告を受け、この石山の地を訪れました。すると岩の上で老人が釣りをしており、お告げの場所がまさにこの地であった事を良弁僧正に告げました。この老人こそが近江の地主である比良明神で、比良明神が座っていた石は「比良明神影向石」として今もなお大切に守られています。

比良明神影向石 駒札より

那須与一地蔵尊

那須与一地蔵尊

比良明神影向石の近くに小さな祠があります。ここに安置されているのは「那須与一地蔵」。境内の参道の整備中に、本堂正面下あたりから発見されたもので、『平家物語』の「扇の的」で有名な那須与一が、石山で療養中に信仰した地蔵尊であると伝えられています。

それではいよいよ本堂のほうへ向かいます。手水舎の横の石段(大坂)をせっせとのぼって行きます。67段ありますよ。

比良明神影向石の後ろにお手洗いがあります。ここで済ませておきましょう。

MAP
MAP

龍蔵権現社

龍蔵権現社

石段の途中にあるのが龍蔵権現社。「ハチに注意」という看板に恐れをなして、さっさと退散。

ご神木

ご神木

石段をのぼりきったところにあったのがご神木。千年杉と言われているそうです。境内にはご神木が三本あります。(他の二本もあとでご紹介します)

硅灰石 <天然記念物>

硅灰石

階段を上り終えると目に入ってくるのが、「石山寺」の名前の由来にもなっている硅灰石です。近くまで寄ってみると、あまりにもすごい迫力。形もなんだか勢いがありますね。

硅灰石とは、石灰岩と花崗(かこう)岩が接触して熱変成作用が生じた結果、ひとつの層となって地表に現れたもの。通常は大理石になるらしいですが、このように大きな硅灰石となるのは非常に珍しいそうで、国の天然記念物に指定されています。

後ろに見えているのは、後ほど紹介する多宝塔です。(白い色がなんだかおしゃれ)

良弁杖桜

硅灰石の右手前に「良弁杖桜」があります。駒札によると、石山寺の開山・良弁僧正の杖が根付いて育った桜だと伝えられており、奈良八重桜だそうです。「今でも咲くのかな?」と思って調べてみると、石山寺公式サイトで、少し咲いている写真が確認できました。

硅灰石をバックに咲く桜。是非とも見てみたいものです。

御影堂 <重要文化財>

御影堂

真言宗の開祖・弘法大師、石山寺第三代座主・淳祐内供良弁僧正が祀られています。室町時代に建立されたそうです。

宝篋印塔(ほうきょういんとう)

宝篋印塔

毘沙門堂の隣には宝篋印塔(ほうきょういんとう)が。南北朝時代のもの。

注目すべきは、「お砂踏み」ができること。この塔の周りには、四国八十八か所霊場の砂が敷かれていて、その砂を踏みながらお参りすることで、実際に八十八か所を巡礼したのと同じ功徳を積むことができるそうです。

またまたリサーチ不足で、参拝した時には私はまだ知らなくてお砂踏みをしなかったのですが、もしこれから行かれる方は、ぜひお参りしてみてください。(周りに敷き詰められている石に、1・2・3・86・87・88の6つの番号が書いてあるみたいです。1から時計回りに回る、ということかな)

毘沙門堂 <滋賀県指定有形文化財>

毘沙門堂

こちらは毘沙門堂です。安置されているのは兜跋(とばつ)毘沙門天です。武神であり財宝神である毘沙門天。とてもたくましい体つきで堂々としており、とてもかっこいいらしいです。

私はこの写真を撮った位置からしか見なかったのですが、もっと近くで見られたのかも。

観音堂

観音堂

西国三十三所観音霊場すべての札所の本尊を模した三十三体の観音様が祀られています。
※中は撮影禁止です

蓮如堂 <重要文化財>

蓮如堂

浄土真宗本願寺派の蓮如上人が祀られています。もともとは三十八所権現社の拝殿。

蓮如上人が6歳の時、父が正妻を迎えることになり、蓮如上人の生母は大谷本願寺を去ることに。その際、鹿子の着物を着た蓮如上人の姿絵を絵師に描いてもらい、忘れ形見にしたそうです。また、この蓮如上人の母は石山観音の化身だとも。蓮如堂にはその形見である”鹿の子の小袖“などの遺品が祀られているそうです。

提灯に「蓮如上人鹿子御影」と書かれていますね。

本堂 <国宝>

本堂

本堂は、正堂と礼堂を合の間で繋いだ複合建築です。現存する本堂は三代目で、正堂は滋賀県下最古の建築。礼堂部分は懸造になっています。

この石段をのぼっていくと・・・

源氏の間

紫式部 源氏の間」がありました。ここは紫式部が参籠して『源氏物語』を起筆した場所であると伝えられています。

紫式部

2024年、この紫式部の人形は修復期間を経て新しくなっているそうです。(上の写真は2023年のもの)

紫式部はこの部屋に参籠し、前方の金勝山から昇る中秋の名月が下の湖面に映える美しい景色に心を打たれ、構想の趣くままに筆を執ったとか。都から須磨に流された貴公子が月を見ながら都を恋しく思っている場面を思いつき、「今宵は十五夜なりけり」と書き出したのが『源氏物語』の始まりだと言われています。

本堂にお参り。本堂の中は厳かな雰囲気で、心がとても落ち着くような感じでした。 ※撮影は禁止

そのあと、石山寺限定販売の紫式部の御朱印帳に御朱印を頂きました。御朱印帳は蛇腹式で、開いて表紙と裏表紙を合わせると紫式部の絵となります。

御朱印
御朱印帳

次はおみくじへ。引いたのは「紫式部開運おみくじ」。“紫式部ゆかりの歌を織り込んだ石山寺ならではの開運おみくじです”とあったので、気になってこちらにしました。

おみくじ

中を開けてみると・・・歌と五円!歌の上に通常のおみくじの内容が書かれていました。この五円は財布に入れておこうと思います。

おみくじ

絵馬も奉納されていました。こちらも紫式部が描かれています。

絵馬

子育て観音

子育て観音

本堂の絵馬掛所から、本堂の奥の方へ進んで看板のとおりに進んで行くと、子育て観音へ。子育てに悩みのある人にご利益があるようです。

石山寺で「どこにあるのかなあ」と悩んだのは、「紫式部像」と「子育て観音」。子育て観音への道は足元が非常に悪く、場合によっては通行止めとなる日もあるようです。

それでは本堂の絵馬掛所に戻り、短い石段をのぼり、少し北側へ移動します。

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MAP

三十八所権現社<重要文化財>

三十八所権現社

三十八所権現社石山寺の鎮守社。祭神は神武天皇から天智天皇までの38代の歴代天皇です。淀殿の寄進により拝殿(現在の蓮如堂)と本堂が築かれました。この社も硅灰石の上に直接建てられています。

経蔵<重要文化財>

経蔵

経蔵は高床の校倉で、かつては国宝の淳祐内供筆聖教などを収蔵した建物。桃山時代の建立であると考えられています。

安産の腰掛石

安産の腰掛石

経蔵へ来たら、下を覗き込んでみてください。そこには「安産の腰掛石」が。硅灰石がくぼんでいるところに座布団が敷かれていて、ここに座ると安産になるのだそうです。

建物の下なので、ほんとに低い姿勢で潜っていかなければなりません。

紫式部供養塔<重要美術品>・芭蕉の句碑

紫式部供養塔・芭蕉の句碑

左が紫式部供養塔で、右が芭蕉の句碑です。

紫式部供養塔は、宝篋印塔の笠が3つ重なっている珍しい層塔で、鎌倉時代中期頃の作品ではないかと言われています。高さは2.6mあり、国の重要美術品に認定されています。

芭蕉の句碑には看板がなくよくわからなかったので、後で調べてみました。「曙はまだむらさきにほととぎす」と刻まれているそうです。松尾芭蕉が石山寺に来た時に源氏の間を見て詠んだ句。「夜明けの空はまだ明けきらず、紫がかっていて、ほととぎすが鳴いて行くよ。」

「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、だちたる雲の・・・」という清少納言の『枕草子』と紫式部が掛かっている?という説も。

鐘楼<重要文化財>

鐘楼

この鐘楼は、源頼朝が寄進したと伝えられています。上層に吊られている平安時代の梵鐘(重要文化財)は妙音で知られているそうです。どんな音なのか、聞いてみたいですね。

個人的には下層の曲線がとてもきれいだなあと思いました。

それではここから上へ行ってみましょう。

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めかくし石

めかくし石

こちらは「めかくし石」。平安朝時代のもので、駒札には「目かくしして この石を完全に抱けば 諸願成就と云う」と書かれています。

私も挑戦!少し離れたところから目をつぶって歩いて行き、「ここ!」と思うところでガバッと・・・出来ませんでした 涙。やり方、合っているのでしょうか・・・。もしかして歩かなくてもよかったのかも。

亀谷禅尼供養塔<重要文化財>・源頼朝供養塔

亀谷禅尼供養塔・源頼朝供養塔

左が亀谷禅尼供養塔、右が源頼朝供養塔です。 (下の方までうまく撮れませんでした・・・)

亀谷禅尼は頼朝の次女の乳母。石山寺の毘沙門天の加護により戦に勝利した中原親能の妻です。剃髪後は石山寺に住んで「石山の尼」と呼ばれたそうです。

多宝塔<国宝>

多宝塔

さあ、やっとたどり着きました、多宝塔。源頼朝が寄進したと伝えられる日本最古の多宝塔で国宝に指定されています。

こげ茶と白の色のバランスがとても素敵。どこか力強さも感じます。日本最古、とはとても思えないほど美しい多宝塔です。内部の柱や天井のまわりなどには、仏像や草花の絵が描かれているそうです。4円切手のデザインにもなったんですよ。

若宮

若宮

多宝塔の近くにある「若宮」。2002年建立。祭神は天照皇大神。

立札によると、「壬申の乱の時に大友皇子(弘文天皇)がこの地に葬られ、古来より寺僧によって手厚く密かに供養されてきた」とのこと。

また、三十八権現社が親神に当たるそうです。

壬申の乱
672年(天武天皇元年)に起こった古代日本最大の内乱。天智天皇の後継を巡り、天智天皇の皇子・大友皇子に対して天智天皇の弟・大海人皇子(後の天武天皇)が挙兵。反乱者である大海人皇子が勝利し、大友皇子は自害した。

芭蕉庵

芭蕉庵は平屋建ての茶室。石山寺をたびたび訪ねていた松尾芭蕉がここに滞在したと言われています。

芭蕉庵

月見亭

月見亭

近江八景「石山の秋月」のシンボルとなっている月見亭は、後白河天皇の行幸に際して建立されたと言われています。はるか向こうには琵琶湖、そして見下ろせば瀬田川、といった美しい風景を楽しむことができるそうです。

月見亭自体には入れなかったので、その横辺りから景色を見てみましたが・・・

月見亭横からの眺め

残念ながら、木々がいっぱいで、あまり見えませんでした。

毎年の中秋の名月の日に行われる「秋月祭」では、多くの参拝客の方々で賑わいます。

心経堂

心経堂

花山法皇西国三十三所復興一千年記念行事の一環として、1990年に建立。如意輪観世音菩薩と石山寺に奉納された写経を納めている輪蔵が安置されています。

それでは、ここから紫式部像を目指して、一番高いところを歩いて行きます。

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豊浄殿・紫式部展

豊浄殿・紫式部展

この豊浄殿では、毎年春と秋に「石山寺と紫式部展」(※有料)が開催されています。2024年については、年3回行われるようです。気になる方は以下のリンクから公式サイトをご覧ください。

建物を見てとても広いと勝手に想像していたのですが、思ったより狭い部屋ひとつ。でも、絵巻などがたくさん展示されているので、狭くても見応えは十分でした。

光堂

光堂

光堂は、2008年に石山を発祥の地とする東レ株式会社によって寄進されました。鎌倉時代に存在した伝統的建築技法である懸崖造りを復興。光堂の下には牡丹苑が広がり、4~5月が見頃となります。

紫式部像

紫式部像

紫式部像に着きました。それにしても、なんとわかりにくいところにいらっしゃるのか。初めて参拝した時は「本堂あたりなのかな~」なんて思っていましたが、だいぶ奥のだいぶ高いところでした。

光堂の前に↓こんな看板が。

紫式部像への看板

この看板がないと、見つけにくかったかも。他に誰もおらず、少し暗くて寂しそうなところです。

紫式部像

こちらは後ろ姿。宇治にある紫式部像よりも少しやせている感じがします。

ちなみに「閉門時間16時45分」と書かれた看板の下の方には「ここから山門まで15分ほどかかります」と書かれていました。

それではここから下りて行って、八大龍王社へ行きましょう。

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無憂園

無憂園

紫式部像から下ってくると、無憂園という庭園がありました。放置されているというわけでもなく、きちんと整えられているというわけでもなく、という感じ。春にはサトザクラやシダレザクラが、初夏には花菖蒲や藤、アヤメ、シャクナゲ、牡丹などが咲くようです。

庭園の中に「甘露の滝」という滝がありました。人工の滝のようです。もう少し水量が多い方がいいかな、と思いました。晴れていても足元がぬかるんでいたので、滝へ近寄る時は足元にお気をつけください。

甘露の滝

また、大観亭というものも。ベンチがあって休憩できるようになっていました。自販機などはありませんでした(2023年10月)。座りながら庭園を眺めるのもいいですね。

大観亭

霊仙三蔵碑

霊仙三蔵碑

霊仙は、近江坂田の出身の日本僧。唐で仏典の翻訳に携わった唯一の日本僧であることが、石山寺一切経の中の「大乗本生心地観経」からわかりました。そのため、1980年、ここに遺徳をたたえる碑が建立されました。

八大龍王社

八大龍王社

八大龍王社は「龍穴」と呼ばれる池の中島にある社。こんなひっそりとしたところにあるからか、なんだか他と空気が違うような気がします。

この「龍穴ノ池」は、炎天下でも請雨法を修すれば必ず雨が降ると言われる伝説の池。石山寺歴海和尚がこの池のほとりの石に座って孔雀京を読むと、龍王たちが池の中から現れ、和尚を庵まで護衛しながら送っていったと言われています。

池のほとりには、和尚が座っていたという尻掛石も。そしてご神木の千年杉も、龍王の祠を見守っています。

尻掛石
尻掛石
ご神木・千年杉
ご神木・千年杉

西国三十三所観音霊場巡り

西国三十三所観音霊場巡り

八大龍王社の鳥居に左手に「西国三十三所観音霊場 巡拝道 入口」と書かれた看板があります。ここを入って行くと、山の斜面を蛇行するように道があり、その道に沿って、西国三十三所の各霊場の観世音菩薩の石仏像が札所順に点々と祀られています。山道で結構歩くのは大変ですが、遠くへ出かけられない人などは、こちらで西国巡礼をすることができます。歩きやすい靴で行くことをおすすめします。

途中、ショートカットの為か、階段もちらほらありました。特定の場所へ行く時用でしょうか。私は石仏の台座に彫られた「第○番」の番号を見て、順にお参りしました。

ちなみに八大龍王社からスタートすると、三十三番札所から始まり、三十二、三十一、…という順番になります。下側の入口まで下りると、「西国札所観音霊場 補陀洛山」と書かれた碑があります。また、入口に道標もあります。

「西国札所観音霊場 補陀洛山」と書かれた碑
西国札所観音霊場 補陀洛山と書かれた碑
道標

柳島

柳島

先ほどの補陀洛山の碑の近くに「柳島」というところがあります。

1078年に本堂が火災に見舞われ、僧侶たちは慌てて経典や仏様を持ち出して逃げました。本堂を飛び出したご本尊が柳の木の上におられることに気づいた僧が、こちらにお移りくださいという仕草をしている場面が『石山寺縁起絵巻』に描かれています。

ご本尊である観音様がとどまっておられた柳があった場所が、「柳島」です。

天智天皇の石切り場

天智天皇の石切り場

本堂の下に当たる部分に、上の写真の石が置かれています。ここは…天智天皇の時代の石切り場であったと言われています。ここから切り出された石が、天智天皇によって建立された奈良・川原寺中金堂の礎石に使用されたことが近年の調査で明らかになっています。

石材は水路運搬。瀬田川から淀川へ下り、大和川をさかのぼって飛鳥の地へ運ばれたと考えられています。

ご神木・天狗杉

天狗杉

東大門をくぐる前に行った「朗澄律師大徳遊鬼境」で、死後は鬼の姿となって石山寺の聖教を護るという誓いを立てて亡くなった朗澄律師が、鬼の姿で松の木の上にいるのを、弟子の行宴が見たという話を紹介しました。

それとは別に、金色の鬼の姿となった朗澄律師が、この天狗杉の上に現れたとも伝わっているそうです。

閼伽井屋(あかいや)

閼伽井屋

閼伽(あか)とは水のことで、この閼伽井屋は石山寺の井戸。本尊の御座の下から水が湧き出ていると伝えられていて、本尊にお供えする水はここから汲まれているそうです。

密蔵院

密蔵院

1893年、島崎藤村が20歳のころ、石山寺の門前にあった茶丈密蔵院に約2ヶ月間滞在しました。その密蔵院がここに移築され、藤村に縁のある建物として大切に残されています。

東大門の前の広場、バス停の後ろあたりに、島崎藤村の碑があります。密蔵院がもともとあった場所なのでしょうか。

島崎藤村の碑
島崎藤村の碑

島崎藤村 「石山寺にハムレットを納むるの辞」より
湖にうかぶ詩神よ心あらば
落ち行く鐘のこなたに聴けや
千年の冬の夜ごとに石山の
寺よりひびく読経のこえ

それでは最後に大湯屋と大黒天へ行きます。

大黒天の門は参道に面していますが、門に「お帰りの出口」とあったので、一度上へのぼりました。順路に沿って進んで行きます。

MAP

大湯屋

帰り道の看板

いよいよ参拝が終わりに近づいてきました。本堂へ戻ってきたら、毘沙門堂の裏へ。上の写真のように「帰り道」と書かれている「下向坂」を下りていきます。

下向坂
下向坂
大湯屋
大湯屋

こちらが「大湯屋」。風呂場として使われていた建物で、前室・脱衣場・浴室から成り立っています。湯屋は全国的に例が少なく、貴重な遺構の一つだそうです。

大黒天

大黒天

最後、大黒天へ到着しました。大黒天の秘仏・拳印大黒天尊は、1024年に琵琶湖から出現するという同じ夢を僧侶3人が見て、琵琶湖から持ち帰ったという言い伝えがあるそうです。

この拳印大黒天尊は秘仏ですが、12年に一度、子の年に一般公開されます。直近では2020年に公開されていました。

大黒天

これで参拝は終了です。

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石山寺 参拝所要時間

石山寺は広く、パッと参拝するのとじっくりすべてを回る、すたすた歩くのとゆっくり回るのとでは時間の差がだいぶあります。いくつかの参拝コースに分けてそれぞれの所要時間(おおよその目安)を記しますので、参考程度にご覧ください。

今回は「じっくり・ゆっくり」での所要時間です。

本堂で折り返すコース:1時間(すたすた30分)

時間がない人やお参りだけしたい、という方におすすめのコース。すたすた進むと30分くらいで行けると思います。

多宝塔・月見亭で折り返すコース:1時間半(すたすた60分)

石山寺と言えば、の有名な見どころである多宝塔・月見亭を回るコース。さくっと回ると1時間程度で行けます。

豊浄殿・紫式部像までぐるっとコース:2時間~(すたすた90分~)

紫式部ファンへおすすめのコース。紫式部像のほか、毎年春・秋には「石山寺と紫式部展」が催される豊浄殿を回ります。さくさく回れば90分くらいでしょうか。

無憂園・八大龍王社・三十三所観音まで全部コース:3時間~(すたすた2時間~)

「石山寺に来たからには、余すところなくすべてを回りたい」という好奇心旺盛な方へおすすめのコース。開門してすぐ入れば終わったあとはランチへ、早めのランチのあとに回ることもできます。

ちなみに私はこの記事を書くためにこのコース+αで回りました。くぐり石をくぐったり、御朱印もいただいておみくじも引き、豊浄殿ではゆっくりと「石山寺と紫式部展」を堪能。三十三所観音も全部お参りし、あまり目につかないような子育て観音も行きました。写真もいっぱい撮って、迷子になって行ったり来たりしながらでも、東大門を入ってから出るまで3時間15分でした。

歴史と文学の寺・石山寺でよいお参りを

今回は、私が参拝した時に実際に回ったコースを紹介しました。出来るだけ隅々まで回って記録してきたので、皆さんにもたくさんの情報を見ていただけたかなあと思います。

2024年大河ドラマ「光る君へ」で盛り上がる石山寺ですが、「花の寺」と呼ばれるほど色とりどりの花を愛でることの出来るお寺です。(私はちょうど花咲く時期の谷間に来てしまいましたが・・・)皆さんにも是非おすすめしたいお寺です。

今回のこの記事が少しでも皆さんのお役に立つことができるならとても嬉しいです。

よい旅を。

たまのじでした。

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石山寺へのアクセス

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